2012年01月27日

旅のリンゴ

今回の旅で役立ったのがiPhone。
周りのヨーロッパからのバカンス客もその多くがiPhoneかiPadを持っていました。
スリランカでもここヒッカドゥワは1960年代からヒッピーの集まるビーチとして賑わうようになりました。
今は昔の賑わいからは程遠いそうですが、鄙びた安宿が立ち並ぶリーズナブルなビーチリゾートになったようです。そんな歴史のおかげでヒッカドゥワではバックパッカーが多いのです。一家全員バックパックを背負った家族も歩いています。今どきのバックパッカーの必需品がパソコンやスマートフォン。
そんな宿泊客を獲得するため無料のWiFiを導入する競争が各ゲストハウスやレストランで起きているようです。
レストランではみんなパソコンやiPadを見ていました。

日本ではまだまだ普及が遅れているWiFi。伊豆で泊まった〇急リゾートでも浜名湖の〇急ハーベストクラブでもWiFiはおろか、有線LANもなかったです。



iPhone(他のスマートフォンも含めて)が便利なのはこれ一つでいろいろ出来るところですね。
まず、海岸線はどっち向きかがわからないと天気予報で明日の風向きを知っても意味がありません。



ヒッカドゥワの海岸は南南西向き。
MAPを起動したらGPSで地域の地図が出るので散歩中に迷う心配もありません。
驚いたことに、GPSを起動した瞬間に、時計も現地時間に自動でセットされました。
また、現地の3G電波を探し始めました。

今まで、海外で携帯電話を使うには高い費用でローミングしなくてはいけませんでしたが、
iPhoneなら電話の契約をしなくてもWiFiでメールを送ることができます。
それにViberのアプリを使えば日本に無料で電話をかけることも可能です。
Viberなら通話相手がネット環境にいなくても日本の3G回線のパケット通信で通話が可能です。



そして、夜のお楽しみは満天の星空でしょう。
北極星が見えない地域でも、ぽとんさんに教えてもらったこのGPSに連動した星座表があれば一目瞭然。

日本の観光地はまだまだ無料WiFiが充分ではないですね。
国や県も海外の観光客を誘致しようといろいろやっていますが、無料のWiFiは海外旅行者に最低限必要なインフラではないでしょうか。

  

Posted by エディ タチカワ at 21:16Comments(3)サーフィン

2012年01月26日

光輝く島 14 最終回

毎度おなじみの風景ですが、旅の記録は最終回です。



最終日もまったりしたいつもの時間が流れていきました。



毎日午前中にはこの地元の子がマンボー前にやってきてずっと波乗りをしています。
体重も軽いんでしょうが、とても軽快に乗っています。



技も特訓中です。
ジャンクな波でしか練習させてもらえないのかメインリーフには行きませんが、
ダラダラの波で上手く乗りこなしていますので、5年10年後には凄いことになっているでしょうね。
とても熱心に練習していました。



こちらの犬は暑さに強いというよりも暑いところが好きみたいです。
日陰もあるのですが、直射日光の当たる砂浜にわざわざ寝てるんです。



こんな風なヨーロッパの美女が多いです。



日陰で新聞を読むこんなオジサンもいます。



マンボーのスタッフはサタデイナイト・パーティのために流された砂をレストラン前に盛り上げる作業中。



バーの前は金髪美女の溜まり場。

なんていう風景が日常の風景です。
物価も安いし、食べ物も美味しいし、人もフレンドリー。
来ているヨーロッパの長期滞在者も穏やかだし。

もちろん波は有りすぎるくらいあったし。
これ以上言うことは無い場所でした。
いろんな場所へ旅しましたが、スリランカは私のレベルのサーファーには超A級のデスティネーションでした。
もっと長くいたかったです。

最後にババちゃんがビールをおごってくれました。
スリランカの国民的ビールのLionビールです。



スリランカの多数派のシンハラ人のシンボルはライオン。
一方、少数派タミル人の鎮圧された反乱軍はタミル・イーラム解放のトラ。
民族問題はちょっと複雑な気持ちになりますね。
でも、平和な今、Lionビールは美味しかったです。



とうとうヒッカドゥワを離れる時が来ました。
帰り道も無法状態の公道グランプリ。
約3時間半の恐怖の時間でしたが無事空港に到着。



空港でも日本人は少なく、目立つのは旗を持った添乗員についていく中国人の団体旅行客でした。
成田行き直行便はやはり3割ほどの搭乗率で快適でした。



最後だし、機内食ならカレーで大丈夫だろうと頼みましたが、
どひゃ~、やっぱり思い切り辛かったです。

咳が止まらなくなりそうでした。


光輝く島シリーズはこれで終了です。
まだ、スリランカ関連ネタはあるので、また紹介したいと思います。
今回も波が大当り、幸運に感謝です。  

Posted by エディ タチカワ at 20:35Comments(9)サーフィン

2012年01月25日

光輝く島 13

ヒッカドゥワの町にいると平和そのものの楽園に感じるスリランカですが、この国も数々の問題点を抱えています。



これはゴールの街の駅ですが都市部では近代的な建物が建ち、賑やかで豊かさを感じます。
ただ、身近に感じられる問題として現在の日本と同じく電力問題が深刻です。
数年前から日常的に地域ごとの輪番制による計画停電が行われていています。
現地の最終日は土曜日だったのですが、午前9時半から夕方4時半まで完全に停電していました。
しかしながら、レストランも調理はガスで、冷蔵は氷を使って普通に営業しておりました。ただ、フレッシュ・ジュースはミキサーが使えないので作れませんでした。
この国では人々がそれなりの対応をして乗り切っているようです。



隣のゲストハウスの屋根を見て気付いたのがこれ。
大型の黒いポリタンク。
停電しても24時間お湯が出たのはこのおかげでしょう。
ハイテクでなくても省エネは可能だという好例でしょう。

この国の面積は北海道の約8割の広さ。そこに約2000万人が暮らしています。
総発電能力は約200万キロワットですが、需要を完全に満たすには250万キロワット必要だそうです。静岡県の電力使用量よりも遥かに少ないですね。それで2000万人がなんとか暮らしています。多分、我々は彼らの10倍は電気を使っているのでしょう。

なぜ、そんなに発電量が少ないかというと、水力発電がメインなのだそうです。
かつて日本のODA(政府開発援助)で30万kwの石炭火力発電所を建設しようとしたところ、大気汚染に反対する住民運動で頓挫したそうです。現在では中国の援助で強引に石炭火力発電所が建設され稼動しているようでが、環境に関する意識の高さにも驚きます。
どんなに電力が足りなくても原子力には頼らないでしょうね。

この国には7つもの世界遺産があります。伝統の中で文化的に非常に洗練されてきた民族なのではないでしょうか。この国の行く末はわかりませんが、日本以上に文化度が高い国なのかもしれません。
  

Posted by エディ タチカワ at 10:00Comments(0)

2012年01月24日

光輝く島 12

とうとう最終日になりました。



今日も暗いうちにヒッカドゥワ・メインリーフにパドルアウトして一番乗りを果たしました。すぐにドイツ人(たぶん)夫婦が来てしまいましたが、挨拶したのをきっかけに和気藹々といい波を譲り合いながらハッピーな時間を過ごしました。3人で「ワオー!見事な日の出だ」なんて叫びながら真っ赤な太陽が椰子の林の中から上がってくるのを見ました。



30分ほどは本当にハッピーな時間を送れたのですが、隣の部屋の日本人夫婦が来た直後に入ってきたイタリア人(そんなふうに見えた)4人組ががっつきサーファーで、急に波取り争いが始まってしまいました。あのドイツ人夫婦も堪らず帰ってしまいました。



これは、こいつらの仲間に加わってしまった方が争わなくて済むなと思ったので話しかけてみることにしました。イタリア人用の話なら車ネタでいけそうなのでとっさに考えたところで話しかけてみました。

Good Morning.where you guys from?
当然、「イタリー」と返事が来ると思っていたのですが、

France
と返ってきてしまいました(大汗)
・・・・・何話せばいいんだ・・・・とりあえず、ビアリッツはいい波が来るみたいですね。とか、ボルドーなんですか・・・ワイン美味いですねとかなんとか取り繕い、そこから先は何言ってるかわからないので、「え、聞こえないんだけど・・・・あ、波来たよ」なんて調子で話したおかげで、とりあえず私の狙う波は横取りされずに済みました。
ヨーロッパのサーファーは筋骨隆々でパドル力も強く、ラテンの血が燃えるのかとてもコンペティティブなのです。プロサーフィンの世界の上位44位までに日本人は一人も入っていないのですが、フランスやスペインをはじめとしたヨーロッパ勢は入っていますから。日本と比べてもサーフィンのレベルは断然フランスの方が上です。



朝一も1時間ほどで上がりました。
今回、もう一回メリッサに行きたいと思っていましたが、もう波乗りは充分にしたという満腹感なのでまたの機会にしようと思います。



後はのんびり過ごそうかと思っていたらアルガンベイから帰ってきたババちゃん兄弟とお二人の日本人の奥さんが赤ちゃんをあやしながらバーカウンターにいました。
肌の色が本当に黒いので最初はびっくりしますが、よく見るとババちゃんもお兄さんも目が大きく鼻は高く掘りは深い、インド・ヨーロッパ語族のアーリア系の顔。かなりのイケメンです。

写真はサーフトリップワールドのHPより

食事をしたらボードを片付けようと思っていたのですが、
今日が最後だからもう一回行ってきた方が良いよとババちゃんが薦めるので、
最後にもう一回波乗りに行くことにしました。
肩の痛みと脚力も限界にきていましたが、最後ですから。



もうあまり気合が入っていなかったのでグーフィー側の小さめをリラックスして乗りました。そうしたら隣の白人サーファーが話しかけてきました。

「どこから来たの?」
「日本です」
「あんたは何処から?」
「イタリアです」

ビンゴです、用意してあったネタを取り出しました。

「おお、イタリアですか、私の友達がランチャ・デルタに乗ってるんだ、それも12年も愛し続けていてね」
「ランチャ・デルタかい、ノーマルなのかそれともラリーかい?」
「そう、ラリー仕様だよ。あちこちパーツを変えてるんだ」
「ラリーなら4WDか?インテグラーレか?」
「そうだ、インテグラーレだ。」
「おお、グレート!」

ちょっと尾ひれを付けてしまって話してますが、どうせイタリア人相手なんでそのくらいデカく話してもいいでしょう(笑)tatsuyaさん。
陽気な奴で歌を歌いだすやら、私の目の前でわざと派手にコケてみたり楽しいイタリア人を絵に書いたみたいな彼のおかげで周りのサーファーも彼の仲間には波取り争いはしてこないのです。
おかげで私も最後のサーフィンを楽しく乗ることができました。



この波が15分に一回くらいレギュラー側に外れてワイドに入ってくる波です。
メインリーフの中央で波待ちしているとグーフィー側しか間に合いません。
これを私だけレギュラー側に外れて待っているのです。
この波のおかげでオイシイ思いもできました。
スリランカの波乗りは楽しかったです。終了です。



2階の部屋の前のテラスでのんびりしていたら、先日のフランス人夫婦が去った後空いていた部屋の前で白人男性が一人でボードを修理していました。リペアキットを持っていないかと尋ねてきましたが、あいにく持ってきてはいません。

彼はニュージーランド人なのですが、中国で仕事をしていて休みを取ってきたのだそうで、ニュージーランドはオークランドに自宅があるそうです。

「オークランドはガーデン・シティって言われているんだよね」
「そうさ、美しい街だよ」
「私はマス釣りも好きだから行ってみたい場所なんだ」

なんて話が弾みました。

私ももう少し長くここに滞在できれば、一緒に波乗りに行ったりして良い友達になれたかもしれません。ハワイのマウナロアに一緒に登ったマーシャル・パーマーを思い出しました。
一緒にトゥクトゥクに乗ってメリッサで波乗りしたら楽しいだろうな。
ニュージーランドにも行ってみたいし、中国の海南島で落ち合うのも面白いかも。



やはり8日間(現地6日間)では足りませんでした。
ようやく波に慣れてきた頃でしたし、
これからどんどん友達ができてきそうな雰囲気でした。
残念ですが、時間切れです。
でも、また必ずスリランカに行きたいと思います。  

Posted by エディ タチカワ at 05:00Comments(4)サーフィン

2012年01月23日

光輝く島 11

終盤になり波乗りをできるだけやっておこうと前日の4日目と5日目は
朝一の1時間、朝食後1時間、夕方5時から1時間というスケジュールで動いていました。

朝食のため部屋を出たらお隣の部屋の方にばったり。
昨夜遅くに到着した千葉のご夫婦。初めて日本人のサーファーと出会いました。



朝食後のサーフィンといっても午前11時頃からです。午後はオンショアが吹き始めますが午前中は風もほとんど吹きません。
マンボーゲストハウスの正面にもサーフポイントがあるのですが、よほど砂が付いている時でないとなかなかブレイクしない厚いブレイクです。
マンボーチームが団体で入っているとき意外はいつも1~2名しか入っていないので、入ってみることにしました。

マンボーのスタッフの目の前なのでこちらの実力を知ってもらうには良い場所です。Avisoが高価だということはスリランカのサーファーも知っています。ただの金持ちオヤジだと思われないためにもAvisoを乗りこなすところを見せないとね。

波が小さくトロトロなうえ、滅多に入ってこないコンディションなので波を読む力としっかりパドルしてテイクオフでき、しかもトロ波でも加速できるテクニックがないと乗れません。

まあ、なんとか何本か岸まで繋いでメイクできたので、スタッフの方たちにもそこそこに認めてもらえたでしょう。



午後はひたすら体を休めます。部屋の前は広いテラスになっていてのんびり昼寝ができるようになっています。



マンボーでは部屋の中に閉じこもっているよりもここでのびのびと昼寝したほうが気持ちが良いのです。
ゲストが昼寝していることよりもスタッフが寝ていることの方が多いですが・・・(笑)

そうそう、ここでよく読書をしている若い日本人女性を見かけていましたが、スリランカ人スタッフの奥さんかと思い、ガイドのババちゃんがいつアルガンベイから戻るのか知りたくて声をかけたのです。
そうしたらそうではなくて、彼女は2ヶ月前に会社をやめてスリランカに来て家を借りて長期滞在しているのだと聞いて驚きました。
凄い行動力ですし、家を借りるといってもどうやって探したのでしょう。かなりの情報収集力、交渉力、他人とのコミュニケーション能力と度胸と愛嬌がなくてはよその国の人たちのコミュニティには溶け込めないでしょう。
でもこういう人って日本の会社社会には溶け込めないんですよね。
学歴や資格ではなく個人の能力を持ったこういう人材を会社に繋ぎとめておけない日本の企業の人事制度や企業風土が残念に思います。
こういう女性の友人が何人かいましたが、日本に戻っても派遣かアルバイトくらいしか働き口がないのが現実なのです。もったいないですね。こういう人たちが日本で能力を発揮できないなんて社会的損失だと思います。
なんてことを考えながら、だらりと弛緩して午後を過ごす私です。



午後3時を過ぎると散歩に出ます。



マンボー前の砂浜も大波が消えたと同時に日に日に復活してきました。



マンボー前から少し離れると砂浜は広くなっています。
ヒッカドゥワのエリアの中でも砂浜が狭くなっているのは沖でサーフィンができるリーフがあるメインリーフからマンボー前だけなのです。やはり波の力しだいなのですね。



ヒッカドゥワにはホテルもありますが、多いのはヨーロッパの長期滞在者向けのゲストハウス





ビーチ沿いのゲストハウスは質素で設備も貧弱のようですが、それぞれ雰囲気のある建物が多く、どれも泊まってみたくなる様な佇まいです。
スリランカは知る人ぞ知る歴史的デザインホテルの宝庫なのです。
ゴールの城壁内にはアジア最古のホテルを買い取ったアマングループのホテルもあります。

夕方5時からは1時間弱、メインリーフに入りました。
これまで透けて見える海底のギザギザ珊瑚のせいでミスして転ぶ恐のある技に消極的だったのですが、ようやくリラックスしてメイクできるようになってきました。最後の一本は掘れた斜面を抜け次のセクションでリッピングを掛けたのですがリップのパワーがあり過ぎて波の上に弾き出されちゃったのです。そのままフローター気味に着水できて、2度とできないエアリアルをメイクできました(笑)。まあ、体のバランスが非常に良くなってきたから転ばなかったのでしょう。日本の波では絶対無理です。
でも、明日が最終日なんですよ。せっかく調子が上がってきたというのに残念です。



最後の日没は見事なゴールドから真っ赤に変化する海でした。  

Posted by エディ タチカワ at 10:34Comments(8)サーフィン

2012年01月22日

光輝く島 10

ブログ更新とメールの返答が止まってしまいご心配をおかけしました。
私自身には何の問題も発生しておりません。今、成田に到着しました。
スリランカの1月21日の午前中からWiFiに異常は無いものの元のADSLネット回線が不通になってしまいました。22日には土曜日ということもあり朝から夕方まで計画停電のため通信機器が全滅状態で連絡ができませんでした。

旅も終盤の5日目



いつも変わりない風景ですが、今日は波だけが違いました。
波がほとんど無くなってしまったように見えます。

今朝は本当に1番乗りを目指して波が見えるか見えないかの暗がりをAvisoでパドルアウトしました。
さすがに今日は一番でした。でも2本乗ったところで2番から5番までもが到着。
今朝の挨拶は
"Good Morning........No Wave.

計測波高は80cm以下しかないようですが、周期は12秒以上あるので



ヒッカドゥワの波は腐っても鯛です。

日本の波情報の表記なら、ムネ~カタ~アタマ ◎80点というところでしょうか。
悪くても日本の最高水準の波がブレイクしています。



朝一はヤル気満々の比較的乗れるメンバーが揃っているうえ波数は少なめなので、
静かなポジション争いもあります。
私はその反対反対を狙って空白のスペースを見つけて小刻みに動き回り、誰とも競わずに波を取っていくスタイルで結構乗らせてもらいました。

今日も1時間弱で上がりました。
短時間で止めるのは、自身のコンディションのためもあるのです。
初日に2回、昨日も1回、Avisoに乗っているとき軸足が攣ってしまいました。
今日は肩も痛み出してしまいました。
歳をとるってこういうことなんでしょうね。嫌ですねえ。

パドリング肩とでも言うのでしょうか、パドルのし過ぎで炎症を起こしているのでしょう。
救急法ではこんな時、氷で15分間冷やします。
ほら、野球のピッチャーがベンチへ引っ込むと氷の袋でアイシングをしてますよね。
肩を酷使することによる炎症(内出血)の止血のために20分以内で氷で冷やすと早く炎症を抑えることができるのです。
氷はないので15分間冷たいシャワーで肩を冷やしました。



陽が高くなってくる頃には朝のメンバーは上がってしまい、
波乗りを覚えたばかりのファンボードのバカンス客に替わりました。
でもこの人たち恐いもの知らずというか、頭サイズのピークから突っ込んできて乗り切ってしまうのです。白人の多くはライディングはヘタクソでも筋骨隆々でパドル力があり侮れません。



そんな人たちの合間を縫ってローカルの子供たちが軽やかに波乗りをしています。

波が小さくなって、ますますゆっくりとしたユル~い時間が流れるヒッカドゥワです。  

Posted by エディ タチカワ at 12:09Comments(4)サーフィン

2012年01月20日

光輝く島 9

4日目の朝です。1月19日早朝。
昨日は体のあちこちが痛くて体を起こすのも結構辛い1日でした。

それでも休養が効を奏して、痛みも取れ完全復活できました。
真っ暗なうちから起きてヒッカドゥワ・メインリーフの一番乗りを狙いました。



昨日までのトリプルセットは消え、見た目は半分以下にサイズが落ちたように感じましたが、1ラウンド目は大事を取ってライトニングボルトでパドルアウトしてみました。残念ながら1番乗りではなく先客が一人いましたが早起きは値千金です。



サイズが下がったとはいえ頭半、ピークはダブル近くありました。
重いライトニングボルトのレトロシングルフィンで正解でした。
このサイズの波だとスピードが出るのでAviso JJでは浮きあがりを押さえ込むのがたいへんなのです。細くて浮力の無いパフォーマンスボードか重いレトロなボードが掘れる大きな波には向いています。
日本の普段の波では軽いボードの方が乗りやすいのですが、ここの波はボードの重さが必要と感じました。
風は無く面はグラッシー、パーフェクトなシェイプのヒッカドゥワならではの波でした。
上の写真を拡大すると



まだまだサイズがありますね。
レギュラーの大き目を狙ってテイクオフして、昨日見た上手い人がやっていた掘れたセクションでカットバックを試みてみました。
マシンのように規則正しい波なので同じ場所で同じ事をまねてみることができるのです。リップぎりぎりで大きくカットバックしてポケットに入りましたが、もうちょっとのところで抜けられず潰されました。
でも、ちょうどパドルアウトしてきた白人サーファーが、
「ワォー、凄かったよ」と言ってくれました。
ポイントの雰囲気も良いです。



しかし、あっという間に続々とサーファーが集まってきて混雑状態に。
こうなると雰囲気もギスギスしてきます。

1時間ほどで1ラウンド目は終了。
体を動かしたので体調も非常によくなりました。

朝食後、2ラウンド目に出ました。



人は一挙に20人以上。
ポイントブレイクに20人は限界を超えた人数です。

2ラウンド目はAvisoで入る予定でしたが、作戦を変更。
波を観察していたら、15分に一本くらいワイドに入ってくる大きな波があり、それには誰も対応できずにいました。
そこでライトニングボルトで一番アウトのレギュラー側の端、エディ・シフトで波待ちする作戦にしました。



滅多に入らないワイドセットを確実に捕らえられる位置取りをする一方、
メインリーフに連続セットが入り、メインの上手い連中が次々に乗って空いたところに後方から回り込んで忍び寄り、
4本目5本目あたりのセットを取るという作戦。
パドルもテイクオフも早いボードならではの作戦です。

波はやや落ち着いてセットで頭半くらい。
テイクオフのエリアも狭まって人が集中して来ました。

でも、私は一人外れで待ちの体制。

そうしたらローカルサーファーが日本語で
「そこ 波 ないよ、ここ来な」と呼んでくれるのです。
おせっかいですが、嬉しいですね。
「日本人、珍しいよ」「5年前いっぱいいたね」
「いま、日本人、お金ないね」

よく知ってますね。私も大笑いして返すしかありませんでした。

そうなんです。この混雑の中でも日本人の姿が無いということは、今ヒッカドゥワにいる日本人サーファーは私だけかもしれません。

実は、正月から先週までマンボーには15人の日本人が宿泊していたそうですが、ほとんどが帰ってしまい、現在ここにいる日本人はババちゃんの奥さんやスタッフの奥さんとその友人だけなのです。
そこでマンボーの主要スタッフもアルガンベイのマンボーハウスの補修に出掛けてしまいました。



2ラウンド目も作戦がほぼ的中して本数は少ないですが大きめセットは乗らせてもらいました。
こちらも1時間ほどで上がりました。

波が下がると同時に、今度は浅瀬のリーフにぶつかる危険もあるので集中力が残っているうちに上がりました。  

Posted by エディ タチカワ at 12:00Comments(4)サーフィン

2012年01月20日

光輝く島 8

今朝はちょっと小ネタです。
波に叩かれ、胃もちょっと痛いので(本当は食べ過ぎ)
夕食を一回抜くことにしました。
でも、空腹に耐えられないと困るので近くのスーパーマーケットで買出し。



スーパーと言っても、日本で言う駄菓子屋程度の規模で商品も田舎の駅のkioskよりも少ない小さな商店です。
珍しく愛想の悪いオヤジが店主で、インドの映画に出てきそうな感じ。

スリランカ人はホスピタリティ溢れると言っても、こういうオヤジだって当然いるでしょう。

お店の写真なども撮りたかったのですが、そんな雰囲気なので撮れませんでした。

さて、買ってきた物の中に好物の
チョコレート・チップ・クッキーがあったのですが、
そのブランド名に気付き思わず笑ってしまいました。



Munchee BISCUITS(マンチー・ビスケット)

このブログを見ている、あなたとあなた!
そう、波乗りしてるあなたです。
興津方面や横砂方面のあなたにもウケたでしょう。
そういう時、私は甘いビスケットに走っちゃうんです。。

今回の旅では波乗りに集中するためにお酒も煙もオンナっ気もナシです。

夕方、iPhoneでメールを打とうと思い2階のテラスに出たんです。夕食を抜くのでレストランは避けました。2階のテラスは端っこのごく狭い範囲でしかWiFiの電波が届いていないのです。
そこにフランス人の女性が座っていたので少し離れたところに立ってメールを打っていました。
そうしたら「夕陽がきれいよ、あなたもここに来て座って眺めなさいよ」と英語で話しかけられてしまいました。



でも、さっきまで旦那が座ってましたから「いや、いいです、ここでも見えますから」と言って固辞しました。
旦那が戻ってきて変に誤解されるのもイヤですし。
でもねえ、ビキニのトップを緩めてるからって、谷間を手で押さえながら話しかけるのやめて欲しいなあ。覗こうなんて思ってませんから(汗)

スリランカは仏教の戒律が厳しいそうです。
ヨーロッパのバカンス客が多いのに、国の法律でトップレスも禁じられたそうです。この国で危ないことは避けましょう。  

Posted by エディ タチカワ at 05:00Comments(0)サーフィン

2012年01月19日

光輝く島 7

ようやく3日目のブログとなります。
今日のヒッカドゥワはババちゃんの予言と、
うみぞうさんが教えてくれた波予想サイトの予報どおり



もっとサイズが上がりダブル、トリプルの世界となってしまいました。

ライトニングボルトのシングルフィンをもってすれば攻略はさほど難しくはないと思いますが、問題は時々連続で入ってくるトリプルサイズのダンパーを潜り抜け耐えるだけの強靭な肉体がどうかです。
ですから今日はペラペラのショートボードでこのサイズにテイクオフできる屈強なエキスパートオンリーです。
ライトニングボルトは浮力がありすぎて充分な深さにダックダイブできません。
昨日、嫌と言うほど叩きのめされて今日はグロッキーです。



この波を見せ付けられるとチャレンジしたくなりますが、まだ旅は先があるので怪我をしないように今日は完全休養日にします。

さあ、朝ご飯食べて



一日中寝るぞ~。

最高の贅沢ですが、正直体がガタガタでハラ~ムネの波でも波乗りする気力がありません。
トリプルサイズの波から落下してくる水量は桁外れです。
満水の浴槽が頭の上に落っこちてくることを想像してください。
首の筋肉痛は当然、脳にも相当な打撃があるはずです。

それにしても紅茶美味しいです。



この掘れたセクションをカットバックで刻むとは、かなりの使い手と見えます。
今日はそんな人たちのための1日です。

さて、マンボー前の砂浜のことですが、
昨夜はレストランの中まで波が上がってくるほどで



バーカウンターのテラスが崩壊の危機に瀕しました。
スタッフ全員徹夜で、レゲーを大音量でかけながら床を剥がして杭の打ち直し作業をやっておりました。
近隣のゲストハウスの基礎もむき出しになるほどの波。
今回の波はそんなに頻繁に立つような波ではないことをうかがい知る事ができます。

この波も今日で終わりで、明日以降はどんどん波が小さくなるようです。
明日からはAviso JJでびしびしリッピングするような波乗りをしたいです。  

Posted by エディ タチカワ at 12:00Comments(2)サーフィン

2012年01月19日

光輝く島 6

さて、クイズです。この海の中に立っている細い棒は何のための物でしょう。



ヒントは、『アペゼさん・おおしおさん・tatsuyaさん・そのじさん・つかさん・りくおさん、クー兄・・・・・』



ヒントが楽すぎましたね、釣りです。もっともこちらは漁業としての伝統の釣りですが、
ストルト・フィッシングというのだそうです。
このあたりの風物詩というか、観光の一環でもあるようです。



ミディガマの
サーフポイントのまん前にもゲストハウスがあり、ヨーロッパのサーファーたちが滞在していました。
このあたりはヨーロッパからのお客が多く、それを対象としたゲストハウス(民宿)がたくさんあります。
彼らは地元民の足であるトゥクトゥク(ミニ三輪車)をチャーターして幌の上にボードを満載してサーフポイントに出掛けるスタイルがほとんどで、お金を掛けずに地元に密着してバカンスを楽しんでいます。



今回の旅は初めてのスリランカで短期なこともありサーファー向けの安いパックツアーですが、彼らと比べたら大名旅行。日本人の平均的な旅スタイルと彼らの旅の楽しみ方では根本的に違いが感じられます。
日本人ももっとお金を掛けずに地元に密着して長い休みを過ごせるような社会構造を作っていかないと、これからの低成長・デフレ・高齢化の日本で、生きていくことの満足度を向上させることはできないのではないかと思います。
ここに来ている人たちは言葉の感じからEUの中でも債務国であるスペイン・ポルトガル・イタリア・ギリシャなどではないでしょうか。
安宿・安レストランでも楽しそうで賑やかな白人の家族連れをみていると日本人もこういう部分を学ばないと、社会情勢に心の部分が蝕まれてしまうような気がします。



波はトリプルのダンパーなので午後まで波乗りをする気にはならず、途中にあるゴールの街へ向かうことにしました。
途中、ガイドのハッサンが道端の椰子の実売りの屋台で止まってくれました。
これはゴールデン・ココナッツで、木に成っているときから実がむき出しの品種です。
屋台のおじさんが蛮刀のような鉈で手際よくスパッと実を切ると



こんな感じで中のジュースを飲むことができます。
そして飲み終わると



鉈で二つに割って中の白い果肉を食べることが出来ます。
この時、左の実の中にある殻の切れ端を鉈でサッと作ってくれるのですが、
これが殻の内側のアールにぴったりのスプーンになるのです。
甘くて美味しかったです。



小さな集落の平均的なイメージでしょうか。

スリランカではやたらに人にカメラを向けるのはタブーとされていると何かで読んだことがあります。写真撮影は普段よりも慎重にするようにしました。



こんな風景もありました(笑)
クルマは日本のトヨタが圧倒的で、ハイエースやカローラの比率が高いです。
数は少ないですがプリウスもホンダのインサイトも見かけました。
後は、インドのTataも多いですね。話題の格安カーのnanoもタクシーで走っていました。



これがスリランカ南部の典型的な漁船です。
港がなくても砂浜から漁に出られるのでコンクリートで漁港を作る必要もありません。伝統の技術は環境にも優しいんですね。



これがゴールの旧市街地を囲う城壁です。ゴールはスリランカ南部最大の都市。
1589年と言いますから日本の戦国時代の終わりごろポルトガルによる最初の砦が築かれ、後にオランダが植民地支配の拠点とし、その後イギリスに変わりました。
東洋への海上交通の要衝ですから西洋列強が重要拠点として支配したのは当然でしょう。巨大な城塞都市となりました。実はこのゴールの旧市街は世界遺産に登録されています。歴史的に重要な遺産なのです。
ここスリランカは東西海上交通の重要地点にあり地政学的にも世界の重要な場所。
紀元前3世紀には王朝文化が栄えた高い文明を持った民族なのです。日本なんかよりずっと歴史と文化がある民族。しかし、悲しいかな地政学上の重要地点だっただけに異民族、とりわけ西欧列強の侵略を受けてきた歴史があります。



シンボルとなっている時計台です。
スリランカは400年近く異民族によって支配・抑圧されてきたわけです。
その時代の統治者がスリランカ国内の多数派シンハラ人と少数派タミル人との軋轢を利用したに違いありません。
つい2年前の2009年まで長い内戦が続きましたが、今はテロもなく本当の平和が訪れたようです。スリランカの平和な未来は始まったばかりと言えます。



ゴールの城壁から新市街地を望むと目の前にクリケット場が見え、クリケットに興じる人たちの姿が見えました。ここは大英帝国の支配下でしたからね。その奥の真新しい建物はバスターミナルです。

そこで思い出すのが2004年に発生したインド洋のスマトラ沖大震災による大津波の映像です。
遠く離れたこのゴールの新市街も巨大津波に飲み込まれました。



映像の手前がバスターミナルで、背景にゴールの城壁と時計台が見えますね。
日本の大震災の7年前のことですから、この教訓を日本でも生かせていたらなと思います。
ちなみにスリランカではこの大津波で3万人以上の人命が失われました。
実に東北関東大震災の2倍の被害者数です。

しかし、ざっと見ただけではそんな大災害が起きた街だとは到底思えないような賑やかさでした。
植民地としての抑圧、長く続いた民族間の内戦、そして大津波。
でもスリランカの人々は貧しくとも逞しく明るく生きているのに驚かされました。
尊敬すべきはテレビに出て文句を言う評論家達ではなく、こうした一般庶民の生き様でしょう。

南側に大きな湾が望めます。この湾と新市街の低い地形が被害を大きくしたのですが、
大航海時代には多くの大型帆船がこの湾に浮かんでいたことでしょう。

こんな風にレストランでブログ書いてます。

  

Posted by エディ タチカワ at 05:00Comments(4)サーフィン