2013年03月31日
バンダアチェトリップ その6
3月16日 トリップ5日目 アチェ4日目、
今日は土曜日。
ロンガ村のビーチではアチェのローカルサーファーの大会が開かれました。
邪魔にならないように朝のサーフィンはお休みのつもりでしたが、
暑さで汗びっしょりなのでシャワー代わりに誰もいないチェマラ・ライトに入りました。
今日は10時から街へお出かけするのでほんの30分だけ入って、シャワーを浴びました。
ロンガ村に限らずバンダアチェで目に付くものがこの復興住宅。
2004年12月、スマトラ沖で起きたマグニチュード9.1(東日本大震災は9.0)の大地震。震源に近いバンダアチェはこれにともなうインド洋大津波に襲われ壊滅しました。この大震災の死者・行方不明者は世界で22万7800人。そのうち13万人がアチェ州周辺でした。
このロンガ村は太い大きな立木を残して全ての建物が津波で破壊され更地同然になったそうです。OZゲストハウスの場所から沖のサーフポイントが全て見渡せたそうです。
今は松林や椰子の木が育ち想像ができないほどの復興ぶり。
ところが、震災後に建てられた復興住宅の多くが空き家で、住む人がおらず荒れ放題になっています。復興住宅は世界各国からの援助で作られ被災者は無償でもらえます。ところが、たくさん作りすぎて1人あたり2軒分の復興住宅が建てられてしまったのだそうです。
建てれば建てるだけ建設業者はカネになるし、役人は賄賂で太れますからね。
今日はムクリスさんがバンダアチェの市街地見物と買出しに連れて行ってくれました。
かつては「メッカの前庭」とよばれるほどのアラビア風のインドネシアで一番きれいな街と言われたバンダアチェ。
インド洋大津波で市街地の大半が破壊され尽くしました。
あれから8年でどこまで復興しているのか興味深いものがあります。
ムクリスさんが先ず最初に寄ってくれたのが
アチェTUNAMI博物館
非常に凝ったデザインの建物に驚きました。
世界各国の援助で作られた津波資料館であると同時に防災教育の拠点でもあります。
小学校の団体や一般の家族連れでたいへん賑わっていました。
建物は楕円のドーナッツ型で中央はガラス天井までの吹き抜け。
吹き抜けの下は池になっていて錦鯉が泳いでいました。
その周りの椅子ぐらいの大きさの球体には援助国の名前が一つ一つ刻まれていました。
援助してくれた各国への感謝を表しているのだと思います。
津波の記録を見せるより先に国際社会への感謝を表す演出がとても賢いなと思いました。
アチェの人は国際社会への感謝を忘れないだろうし、海外から来た私のようなツーリストもこれを見れば援助して感謝されてよかったと思うに違いありません。
東北ではこのような施設を作る計画はあるのでしょうか。その施設は国際社会に「助けてくれてありがとう」という気持ちをアピールする内容になるのでしょうか。
こちらは震災被害を撮影した当時の写真が液晶パネルに映し出される部屋
ここは単なる資料館の造りではなく、かなり芸術的な建築。
心理的な演出も考えてのデザインだと思います。
ムクリスさんが見上げるガラス張りの天井には
援助国の国旗と国名が掲げられていました。
アチェ州は独立運動と人権問題があったため、インドネシア政府は外国に干渉させないように海外メディアからも隠し続けて来た土地。
それが今や世界中が注目し助けてくれることをアチェ市民は実感していると思います。
中央を縦断する橋の上では家族連れが記念写真を撮る姿が。
驚いたのは来場者の顔が明るいことです。みんな笑顔なのです。
完全に行楽地に来ているような雰囲気です。
イスラムのしきたりでフードを被っている女性たちも明るい表情です。
空港でもこんな明るい表情の人は多くなかったように思います。
この津波博物館の建物の模型がありました。
船のような形は多分、生命を守るためのノアの箱舟を意識しているのではないでしょうか。
(イスラム教の経典コーランにもノアの箱舟の逸話がでてきます)
この建物が命を守るための教訓と知恵をみんなに学んでもらう施設だからでしょう。
また2つの曲線部分は『波』『渦』を表しているとのことでした。
写真パネルの展示もたくさんありました。
見ているだけで涙が出てきそうです。
我々の泊まっているロンガ村の被災状況ありました。
黄色の部分はCompletely destroied shoreline(完全に破壊された海岸線エリア)
に完全に入っていました。
こちらは津波前のバンダアチェ市街地の模型
これは津波後のバンダアチェ市街地の模型
バンダアチェはマラッカ海峡の西の入り口に位置する要衝。
海のシルクロードの時代から栄えていた港町。
その低地にある港湾が完全に水没するほどの地形変化が起きていたようです。
3階は地震や津波のメカニズムを学べる学習のための展示スペース
その一角に、TUNAMIの語源が日本語の「津波」であるというパネルがありました。
北斎の絵は、津波じゃないけど・・・・まあいいか。
今日は土曜日。
ロンガ村のビーチではアチェのローカルサーファーの大会が開かれました。
邪魔にならないように朝のサーフィンはお休みのつもりでしたが、
暑さで汗びっしょりなのでシャワー代わりに誰もいないチェマラ・ライトに入りました。
今日は10時から街へお出かけするのでほんの30分だけ入って、シャワーを浴びました。
ロンガ村に限らずバンダアチェで目に付くものがこの復興住宅。
2004年12月、スマトラ沖で起きたマグニチュード9.1(東日本大震災は9.0)の大地震。震源に近いバンダアチェはこれにともなうインド洋大津波に襲われ壊滅しました。この大震災の死者・行方不明者は世界で22万7800人。そのうち13万人がアチェ州周辺でした。
このロンガ村は太い大きな立木を残して全ての建物が津波で破壊され更地同然になったそうです。OZゲストハウスの場所から沖のサーフポイントが全て見渡せたそうです。
今は松林や椰子の木が育ち想像ができないほどの復興ぶり。
ところが、震災後に建てられた復興住宅の多くが空き家で、住む人がおらず荒れ放題になっています。復興住宅は世界各国からの援助で作られ被災者は無償でもらえます。ところが、たくさん作りすぎて1人あたり2軒分の復興住宅が建てられてしまったのだそうです。
建てれば建てるだけ建設業者はカネになるし、役人は賄賂で太れますからね。
今日はムクリスさんがバンダアチェの市街地見物と買出しに連れて行ってくれました。
かつては「メッカの前庭」とよばれるほどのアラビア風のインドネシアで一番きれいな街と言われたバンダアチェ。
インド洋大津波で市街地の大半が破壊され尽くしました。
あれから8年でどこまで復興しているのか興味深いものがあります。
ムクリスさんが先ず最初に寄ってくれたのが
アチェTUNAMI博物館
非常に凝ったデザインの建物に驚きました。
世界各国の援助で作られた津波資料館であると同時に防災教育の拠点でもあります。
小学校の団体や一般の家族連れでたいへん賑わっていました。
建物は楕円のドーナッツ型で中央はガラス天井までの吹き抜け。
吹き抜けの下は池になっていて錦鯉が泳いでいました。
その周りの椅子ぐらいの大きさの球体には援助国の名前が一つ一つ刻まれていました。
援助してくれた各国への感謝を表しているのだと思います。
津波の記録を見せるより先に国際社会への感謝を表す演出がとても賢いなと思いました。
アチェの人は国際社会への感謝を忘れないだろうし、海外から来た私のようなツーリストもこれを見れば援助して感謝されてよかったと思うに違いありません。
東北ではこのような施設を作る計画はあるのでしょうか。その施設は国際社会に「助けてくれてありがとう」という気持ちをアピールする内容になるのでしょうか。
こちらは震災被害を撮影した当時の写真が液晶パネルに映し出される部屋
ここは単なる資料館の造りではなく、かなり芸術的な建築。
心理的な演出も考えてのデザインだと思います。
ムクリスさんが見上げるガラス張りの天井には
援助国の国旗と国名が掲げられていました。
アチェ州は独立運動と人権問題があったため、インドネシア政府は外国に干渉させないように海外メディアからも隠し続けて来た土地。
それが今や世界中が注目し助けてくれることをアチェ市民は実感していると思います。
中央を縦断する橋の上では家族連れが記念写真を撮る姿が。
驚いたのは来場者の顔が明るいことです。みんな笑顔なのです。
完全に行楽地に来ているような雰囲気です。
イスラムのしきたりでフードを被っている女性たちも明るい表情です。
空港でもこんな明るい表情の人は多くなかったように思います。
この津波博物館の建物の模型がありました。
船のような形は多分、生命を守るためのノアの箱舟を意識しているのではないでしょうか。
(イスラム教の経典コーランにもノアの箱舟の逸話がでてきます)
この建物が命を守るための教訓と知恵をみんなに学んでもらう施設だからでしょう。
また2つの曲線部分は『波』『渦』を表しているとのことでした。
写真パネルの展示もたくさんありました。
見ているだけで涙が出てきそうです。
我々の泊まっているロンガ村の被災状況ありました。
黄色の部分はCompletely destroied shoreline(完全に破壊された海岸線エリア)
に完全に入っていました。
こちらは津波前のバンダアチェ市街地の模型
これは津波後のバンダアチェ市街地の模型
バンダアチェはマラッカ海峡の西の入り口に位置する要衝。
海のシルクロードの時代から栄えていた港町。
その低地にある港湾が完全に水没するほどの地形変化が起きていたようです。
3階は地震や津波のメカニズムを学べる学習のための展示スペース
その一角に、TUNAMIの語源が日本語の「津波」であるというパネルがありました。
北斎の絵は、津波じゃないけど・・・・まあいいか。
SURF 遠州灘 4月15日(月)・16日(火)
SURF 遠州灘 4月12日(金)
SURF 遠州灘 4月11日(木)
SURF 遠州灘 4月8日(月)
ポレポレ島仲間がやって来た 4月4日(木)~4月6日(土)
SURF 駿河湾内 4月1日(月)
SURF 遠州灘 4月12日(金)
SURF 遠州灘 4月11日(木)
SURF 遠州灘 4月8日(月)
ポレポレ島仲間がやって来た 4月4日(木)~4月6日(土)
SURF 駿河湾内 4月1日(月)
Posted by エディ タチカワ at 18:39│Comments(4)
│サーフィン
この記事へのコメント
初めまして。
突然のメール申し訳ありません。
実を云いますと、来年2017年1月~アチェにトリップに行こうと思い、アチェ空港からの交通機関や宿泊先などなどの情報を頂けたらと思いメールさせて頂きました。
よろしくお願いいたします。
突然のメール申し訳ありません。
実を云いますと、来年2017年1月~アチェにトリップに行こうと思い、アチェ空港からの交通機関や宿泊先などなどの情報を頂けたらと思いメールさせて頂きました。
よろしくお願いいたします。
Posted by Kenichi Takagi at 2016年10月30日 10:57
Kenichi Takagiさん
お返事遅くなりました。私はOMツアーで送迎が付いていたので交通機関はわかりません。ただ、アチェの空港からポイントまでは車で20~30分だったと思うので、タクシー等でもそれほどかからないと思います。
宿はポイント近くに何軒もありますが、私たちが泊まったOZハウスならFacebookでOz guest houseと検索すると出てきますので連絡したらいかがでしょうか。送迎もしてくれると思います。
お返事遅くなりました。私はOMツアーで送迎が付いていたので交通機関はわかりません。ただ、アチェの空港からポイントまでは車で20~30分だったと思うので、タクシー等でもそれほどかからないと思います。
宿はポイント近くに何軒もありますが、私たちが泊まったOZハウスならFacebookでOz guest houseと検索すると出てきますので連絡したらいかがでしょうか。送迎もしてくれると思います。
Posted by エディ タチカワ at 2016年10月31日 21:10
エディさん、ありがとうございます。
またどこかでお会いできるとイイですね♪
では、イイ波に乗って来ます。
またどこかでお会いできるとイイですね♪
では、イイ波に乗って来ます。
Posted by Kenichi Takagi at 2016年11月03日 12:19
Kenichi Takagiさん
そうですね。旅先でばったりなんてなれば楽しいですね。
報告楽しみにしております。
そうですね。旅先でばったりなんてなれば楽しいですね。
報告楽しみにしております。
Posted by エディ タチカワ at 2016年11月04日 17:35