2010年03月13日
虹をつかむ男たち・・・『みのる座ファイナル』
1993年山田洋次監督作品、西田敏行主演の『虹をつかむ男』
そのモデルとなったのが島田の『みのる座』なのだそうです。
静岡市に生まれ育った私は、最近までみのる座のことを知りませんでした。
3月10日、島田市の中心市街地で94年間の長きにわたり市民に親しまれてきた『みのる座』の映画館としての最後の上映会が開かれました。
この『みのる座ファイナル』は日本の映画界を代表する山田洋次監督をお迎えしてのイベントでした。フィルムサポート島田の有志が集まって企画・運営をしたものでした。

この上映会のチケットは発売から30分で完売したとも聞くプラチナチケットなりました。人の目には単なる寂れた映画館に映るかもしれませんが、『みのる座』の最後を惜しむ人がいかに多かったのかがわかります。

多くの人が見たくても観れなかった最後のイベントに、私は報道陣の1人として入場させていただくことができました。テレビ・ラジオだけが報道ではなく、インターネットやブログも報道の一つと思います。
それだけに、きちんと問題を見据え、きちんと伝え、きちんと今後を考えていくお手伝いをしなくては観れなかった人に申しわけないと思っています。

3回上映の最終回、テレビ報道陣も全社揃い踏み。ボランティアのスタッフにはブロガーの島田市☆時計屋さん☆むらまつさんの顔もありました。

上映作品は島田で撮影された山田洋次監督作品『男はつらいよ 噂の寅次郎』(1978年)
久々に観た寅さん映画、大原麗子さんが可憐です。お馴染のレギュラーだけでなく、ちょっと出るだけの役者さんも、大滝秀治さんや泉ピン子さんなど今では超大物俳優。
日本映画がまだ輝いていた時代、そんな良い時代の代表的な作品がこの『みのる座』のオーナーと山田洋次監督の個人的な親交から島田で撮影された事実に驚かされました。
最後の映画上映が終わり、建築士会さんの歴史的建築物としての『みのる座』の価値についての講演がありました。
その頃、正面玄関に報道陣が集まり、

先ごろベルリン映画祭功労賞を受賞されたばかりの山田洋次監督が現れました。

迎える受付の係はロマンず☆の若者たちです。
こういう若い人たちが街を動かす活動に主体的に動いている姿が素晴らしいと思います。
チャールストンさん繋がりで知ってはいましたがお忙しそうだったのでご挨拶はまたいずれ。

トークショーは山田洋次監督のお話を中心に『みのる座』現社長の太田晴也さん

そしてフィルムサポート島田の代表で『みのる座ファイナル』実行委員長の清水さん。
清水さんはeしずおかブログの某名物ブロガーさんのお兄さん。
山田洋次監督のお話は興味深いものでした。
味のある単館の映画館がどんどん少なくなり魅力ある館主も消えていく。映画の未来を危惧されていました。
DVDの普及で1人で観ることが多くなり映画館へ行かなくなりました。映画館では大勢の人たちと感動を共有する体験が貴重なのです。
私も映画という文化が、どんどん無機質な単なるソフトという情報産業に変化していってしまうように感じます。
最近の映画はシネコンやDVD、ケーブルTVなどが主流となっていますが、昔の映画館のように観たい時に入って何度でも観たり、オールナイトで夜明かししたりはできません。そういったことも昔の若者文化の一つだったはず。
最後に現社長のご両親の太田修平さんご夫妻が登場しました。
そもそも山田監督が島田で『母べえ』(吉永小百合)『武士の一分』(木村拓哉)など様々な映画を撮るきっかけになったのは太田修平さんとの50年にわたる親交があったからなのです。
そんな日本一の映画人に立ち会ってもらって『みのる座』は幸せな最終日を迎えることができたのです。

時代の流れとはいえ、このような庶民の文化の象徴的建物が消えてしまって良いのでしょうか。
実は27年前、私はハワイで同じような場面に立ち会いました。
ハワイのオアフ島ノースショアといえば、世界のサーフィンのメッカです。
そのノースショアのハレイワの街にハレイワシアターがありました。

1983年の冬、ノースショアにサーフィンに行った時、電柱に貼られたサーフィン映画上映会のチラシを見つけました。既に閉館されていたハレイワシアターでの上映会の案内でした。
その日は『Adventures in Paradise』というサーフィン映画が上映されました。
ユニバーシティの学生仲間で映画館の駐車場に着いた時にはクルマの中は煙でもうもう。
酔っぱらったような状態でシアターに入ってびっくりしました。
シアターは既に閉鎖され、観客席も撤去されていたため、映画を主催したローカルたちが椅子を持ち寄り並べていたのです。我々は丸テーブルを囲みビールを飲みながら香ばしい薫りの煙がもうもうとする中で映画を観ました。
オーストラリア出身のチャンピオンが登場すると大ブーイング。地元ハワイアンが登場すると拍手喝采の大騒ぎ。インターミッション(休憩時間)にはローカルが持ち寄った自分たちのスライド上映などサーファー達のパーティのような上映会でした。周りには世界的な有名サーファーがぞろりといました。人生で最も興奮した映画上映会でした。
実はそれが最後の上映会となりました。取り壊し反対運動も当然あり、取り壊し工事開始直前にはタイツを履きマントをつけた小太りのMr.アメリカが屋根に登り星条旗を振り反対を訴え立て籠もりました。テレビニュースでも大きな話題になりました。
しかし、数時間後には更地となりその後にマクドナルドの店舗が建てられました。
観光地ハワイでも、サーフィン映画の殿堂である文化遺産を残すことができませんでした。
フィルムサポート島田のみなさんの夢は『みのる座』を文化遺産として残していきたいと考えているでしょう。それは経済的にも困難なことかもしれません。
ただ、この街に存在する映画のロケ地としての価値を考えると壊してしまうのはあまりにも惜しいと思います。
イベント終了後にチャールストンさんに寄り、noriさんと話しました。
多くの人が『みのる座』を蓬莱橋の近くに移築して、映画村を作れば大井川鉄道と合わせて魅力的な観光地になるのではないかと思っています。
しかしそれは現在の社会経済状況の中では困難な夢かもしれません。
そもそも映画とは、夢の世界を七色の光でスクリーン上に表現したものだと思います。
だから、島田の有志の人たちは『虹をつかむ男達』になろうとしているのです。

追記:報道としては不十分なレポートで申しわけありません。
詳しいことは静岡新聞の記事を見ていただくのが簡潔で正確です。
私が最初に『みのる座ファイナル』の話を聞いた時、頭に浮かんだのがハワイのハレイワシアターの思い出でした。
私という媒介を通して語る場合、ハワイでの体験はどうしても外せないことでした。
ハレイワシアターのようにみのる座も解体され、存続の可能性は1%も残っていないのかもしれません。
でも、虹をつかもうとする男達の活動は決して無駄ではない価値のあるものと思います。
そのモデルとなったのが島田の『みのる座』なのだそうです。
静岡市に生まれ育った私は、最近までみのる座のことを知りませんでした。
3月10日、島田市の中心市街地で94年間の長きにわたり市民に親しまれてきた『みのる座』の映画館としての最後の上映会が開かれました。
この『みのる座ファイナル』は日本の映画界を代表する山田洋次監督をお迎えしてのイベントでした。フィルムサポート島田の有志が集まって企画・運営をしたものでした。

この上映会のチケットは発売から30分で完売したとも聞くプラチナチケットなりました。人の目には単なる寂れた映画館に映るかもしれませんが、『みのる座』の最後を惜しむ人がいかに多かったのかがわかります。

多くの人が見たくても観れなかった最後のイベントに、私は報道陣の1人として入場させていただくことができました。テレビ・ラジオだけが報道ではなく、インターネットやブログも報道の一つと思います。
それだけに、きちんと問題を見据え、きちんと伝え、きちんと今後を考えていくお手伝いをしなくては観れなかった人に申しわけないと思っています。

3回上映の最終回、テレビ報道陣も全社揃い踏み。ボランティアのスタッフにはブロガーの島田市☆時計屋さん☆むらまつさんの顔もありました。

上映作品は島田で撮影された山田洋次監督作品『男はつらいよ 噂の寅次郎』(1978年)
久々に観た寅さん映画、大原麗子さんが可憐です。お馴染のレギュラーだけでなく、ちょっと出るだけの役者さんも、大滝秀治さんや泉ピン子さんなど今では超大物俳優。
日本映画がまだ輝いていた時代、そんな良い時代の代表的な作品がこの『みのる座』のオーナーと山田洋次監督の個人的な親交から島田で撮影された事実に驚かされました。
最後の映画上映が終わり、建築士会さんの歴史的建築物としての『みのる座』の価値についての講演がありました。
その頃、正面玄関に報道陣が集まり、

先ごろベルリン映画祭功労賞を受賞されたばかりの山田洋次監督が現れました。

迎える受付の係はロマンず☆の若者たちです。
こういう若い人たちが街を動かす活動に主体的に動いている姿が素晴らしいと思います。
チャールストンさん繋がりで知ってはいましたがお忙しそうだったのでご挨拶はまたいずれ。

トークショーは山田洋次監督のお話を中心に『みのる座』現社長の太田晴也さん

そしてフィルムサポート島田の代表で『みのる座ファイナル』実行委員長の清水さん。
清水さんはeしずおかブログの某名物ブロガーさんのお兄さん。
山田洋次監督のお話は興味深いものでした。
味のある単館の映画館がどんどん少なくなり魅力ある館主も消えていく。映画の未来を危惧されていました。
DVDの普及で1人で観ることが多くなり映画館へ行かなくなりました。映画館では大勢の人たちと感動を共有する体験が貴重なのです。
私も映画という文化が、どんどん無機質な単なるソフトという情報産業に変化していってしまうように感じます。
最近の映画はシネコンやDVD、ケーブルTVなどが主流となっていますが、昔の映画館のように観たい時に入って何度でも観たり、オールナイトで夜明かししたりはできません。そういったことも昔の若者文化の一つだったはず。
最後に現社長のご両親の太田修平さんご夫妻が登場しました。
そもそも山田監督が島田で『母べえ』(吉永小百合)『武士の一分』(木村拓哉)など様々な映画を撮るきっかけになったのは太田修平さんとの50年にわたる親交があったからなのです。
そんな日本一の映画人に立ち会ってもらって『みのる座』は幸せな最終日を迎えることができたのです。

時代の流れとはいえ、このような庶民の文化の象徴的建物が消えてしまって良いのでしょうか。
実は27年前、私はハワイで同じような場面に立ち会いました。
ハワイのオアフ島ノースショアといえば、世界のサーフィンのメッカです。
そのノースショアのハレイワの街にハレイワシアターがありました。

1983年の冬、ノースショアにサーフィンに行った時、電柱に貼られたサーフィン映画上映会のチラシを見つけました。既に閉館されていたハレイワシアターでの上映会の案内でした。
その日は『Adventures in Paradise』というサーフィン映画が上映されました。
ユニバーシティの学生仲間で映画館の駐車場に着いた時にはクルマの中は煙でもうもう。
酔っぱらったような状態でシアターに入ってびっくりしました。
シアターは既に閉鎖され、観客席も撤去されていたため、映画を主催したローカルたちが椅子を持ち寄り並べていたのです。我々は丸テーブルを囲みビールを飲みながら香ばしい薫りの煙がもうもうとする中で映画を観ました。
オーストラリア出身のチャンピオンが登場すると大ブーイング。地元ハワイアンが登場すると拍手喝采の大騒ぎ。インターミッション(休憩時間)にはローカルが持ち寄った自分たちのスライド上映などサーファー達のパーティのような上映会でした。周りには世界的な有名サーファーがぞろりといました。人生で最も興奮した映画上映会でした。
実はそれが最後の上映会となりました。取り壊し反対運動も当然あり、取り壊し工事開始直前にはタイツを履きマントをつけた小太りのMr.アメリカが屋根に登り星条旗を振り反対を訴え立て籠もりました。テレビニュースでも大きな話題になりました。
しかし、数時間後には更地となりその後にマクドナルドの店舗が建てられました。
観光地ハワイでも、サーフィン映画の殿堂である文化遺産を残すことができませんでした。
フィルムサポート島田のみなさんの夢は『みのる座』を文化遺産として残していきたいと考えているでしょう。それは経済的にも困難なことかもしれません。
ただ、この街に存在する映画のロケ地としての価値を考えると壊してしまうのはあまりにも惜しいと思います。
イベント終了後にチャールストンさんに寄り、noriさんと話しました。
多くの人が『みのる座』を蓬莱橋の近くに移築して、映画村を作れば大井川鉄道と合わせて魅力的な観光地になるのではないかと思っています。
しかしそれは現在の社会経済状況の中では困難な夢かもしれません。
そもそも映画とは、夢の世界を七色の光でスクリーン上に表現したものだと思います。
だから、島田の有志の人たちは『虹をつかむ男達』になろうとしているのです。

追記:報道としては不十分なレポートで申しわけありません。
詳しいことは静岡新聞の記事を見ていただくのが簡潔で正確です。
私が最初に『みのる座ファイナル』の話を聞いた時、頭に浮かんだのがハワイのハレイワシアターの思い出でした。
私という媒介を通して語る場合、ハワイでの体験はどうしても外せないことでした。
ハレイワシアターのようにみのる座も解体され、存続の可能性は1%も残っていないのかもしれません。
でも、虹をつかもうとする男達の活動は決して無駄ではない価値のあるものと思います。
SURF 駿河湾内 5月19日(月)
愛知史跡巡り 犬山城と小牧城
SURF 遠州灘 5月13日(火)
SURF 駿河湾内 5月4日(日) Golden Week
SURF 駿河湾内 4月24日(木)・25日(金) べらぼう展
SURF 下田白浜 4月17日(木)
愛知史跡巡り 犬山城と小牧城
SURF 遠州灘 5月13日(火)
SURF 駿河湾内 5月4日(日) Golden Week
SURF 駿河湾内 4月24日(木)・25日(金) べらぼう展
SURF 下田白浜 4月17日(木)
Posted by エディ タチカワ at 23:58│Comments(6)
│お気に入り・お楽しみ
この記事へのコメント
貴重な取材の御手伝いをいただきありがとうございました。
こちらはまだまだ整理がつきません。
大切な思い出を後世に伝えていくことも
われわれに残された使命だと思います。
ブログテンプレートで遊んでないで
早く記事上げますね・・・・汗
こちらはまだまだ整理がつきません。
大切な思い出を後世に伝えていくことも
われわれに残された使命だと思います。
ブログテンプレートで遊んでないで
早く記事上げますね・・・・汗
Posted by コンビニおじさん。
at 2010年03月14日 09:26

島田生まれの島田育ちなので、みのる座にはよく通った思い出があります。
とはいえ94年の歴史があることは最近まで知りませんでした。
ついこないだまでうちのお子様たちが夏休み等に通っていましたが、近隣にシネコンが出来てからは「みのる座に行こう」と言っても「えー、オバケ出そうだからイヤー」といわれる始末。。。
寂しい感がありますが、これも時代の流れでしょうかねえ。
とはいえ94年の歴史があることは最近まで知りませんでした。
ついこないだまでうちのお子様たちが夏休み等に通っていましたが、近隣にシネコンが出来てからは「みのる座に行こう」と言っても「えー、オバケ出そうだからイヤー」といわれる始末。。。
寂しい感がありますが、これも時代の流れでしょうかねえ。
Posted by Nagase at 2010年03月16日 01:15
子供の頃は、各町単位で映画館があったような気がします。
僕の住んでた町の映画館は、子供向けの怪獣映画から成人映画まで上映していましたよ。
映画「ニューシネマパラダイス」を思い出しました。
それと、ハレイワシアターの話、サーフィン雑誌で見た記憶があります。
青春真っ只中の写真ですね!
この頃よく、サーフショップ主催で、サーフィンムービーを上映してましたね。なつかし~~ぃ!
僕の住んでた町の映画館は、子供向けの怪獣映画から成人映画まで上映していましたよ。
映画「ニューシネマパラダイス」を思い出しました。
それと、ハレイワシアターの話、サーフィン雑誌で見た記憶があります。
青春真っ只中の写真ですね!
この頃よく、サーフショップ主催で、サーフィンムービーを上映してましたね。なつかし~~ぃ!
Posted by gushi at 2010年03月16日 23:59
コンビニおじさん
ここ数日超多忙でコメントのお返事が遅くなって済みませんでした。
この記事は書くのが難しくて大変でした。
伝えたいこと、みのる座を残したいと思う人たちの思っていることをもっと伝えたかったのですが私の書く力が不足していました。
コンビニおじさんのおかげで、とても貴重な体験ができました。ありがとうございました。今後の動きもありましたら教えてください。
ここ数日超多忙でコメントのお返事が遅くなって済みませんでした。
この記事は書くのが難しくて大変でした。
伝えたいこと、みのる座を残したいと思う人たちの思っていることをもっと伝えたかったのですが私の書く力が不足していました。
コンビニおじさんのおかげで、とても貴重な体験ができました。ありがとうございました。今後の動きもありましたら教えてください。
Posted by エディ タチカワ
at 2010年03月17日 00:14

Nagaseさん
静岡市民はほとんどのひとがみのる座を知らないと思いますが、
島田市民のほとんどの人があたりまえの場所としての思い出を持っているんですね。
島田は本当にオンリーワンなものがたくさんある場所だなあと思います。
蓬莱橋・SL・大井川鉄道・大井川の川越え・映画のロケ・大茶園。
榛原海岸・静岡空港・奥大井・南アルプスと繋ぐと、凄い場所に思えてきます。
静岡市民はほとんどのひとがみのる座を知らないと思いますが、
島田市民のほとんどの人があたりまえの場所としての思い出を持っているんですね。
島田は本当にオンリーワンなものがたくさんある場所だなあと思います。
蓬莱橋・SL・大井川鉄道・大井川の川越え・映画のロケ・大茶園。
榛原海岸・静岡空港・奥大井・南アルプスと繋ぐと、凄い場所に思えてきます。
Posted by エディ タチカワ
at 2010年03月17日 00:26

gushiさん
映画館ありましたよね。
遠い過去の記憶に、清水の映画館に行った記憶があります。映画館の前を路面電車が通っていました。
実は私が生まれる前、私の父は映画全盛期の『静活』に勤めていて、映画館の若き支配人でたいへんモテたみたいです。結婚前の母は、立ち見の客でごった返す『ローマの休日』に何度もタダで入れてもらって、友人たちから羨ましがられたそうです。父のいた映画館は今はもう1軒もありません。
それにハレイワシアターの思い出も重なり、なんとしてもみのる座のラストを見送りたいなと思いました。ハレイワシアターの写真ですが、止まっているレンタカーはダットサンのサニー、奥のは2代目410ブルーバードだったように思います。
あの時代、静岡では商工会議所の大会議室などでサーフィン映画の上映会がありましたね。
とっても懐かしい、よき時代の文化ですね。
映画館ありましたよね。
遠い過去の記憶に、清水の映画館に行った記憶があります。映画館の前を路面電車が通っていました。
実は私が生まれる前、私の父は映画全盛期の『静活』に勤めていて、映画館の若き支配人でたいへんモテたみたいです。結婚前の母は、立ち見の客でごった返す『ローマの休日』に何度もタダで入れてもらって、友人たちから羨ましがられたそうです。父のいた映画館は今はもう1軒もありません。
それにハレイワシアターの思い出も重なり、なんとしてもみのる座のラストを見送りたいなと思いました。ハレイワシアターの写真ですが、止まっているレンタカーはダットサンのサニー、奥のは2代目410ブルーバードだったように思います。
あの時代、静岡では商工会議所の大会議室などでサーフィン映画の上映会がありましたね。
とっても懐かしい、よき時代の文化ですね。
Posted by エディ タチカワ
at 2010年03月17日 00:48
