2011年06月24日

昭和20年代の富士登山の写真

昨日(6月23日)の静岡新聞朝刊に今年の富士登山のマイカー規制の記事が掲載されました。
今年からマイカー規制日が大幅に増えることになりました。土日は毎週規制がかかります。
私はこれまでも夏の2ヶ月間は全日マイカー規制するべきと主張してきましたが、規制日が増えたことは良い傾向だと思います。理由については新聞記事をみてもらうと良いですが、これまでの規制がかからない日は大渋滞のため五合目まで行くのに何時間もかかってしまう事態もあったのです。

さて、母の写真を整理していたら富士登山の写真が3枚だけ見つかりました。

静岡女子商業の生徒だった頃ですから、母がまだ10代の半ばという年齢だったと思います。時代は太平洋戦争が敗戦となった昭和20年から数年後(2~4年)という時代だと思います。

昭和20年代の富士登山の写真

この写真には大きな鳥居が写っているのでたぶん富士宮の浅間大社ではないでしょうか。
まだまだ戦後の混乱期だと思われますが、生徒の服は意外ときれいでモダンです。
戦後復興は我々が思っていた以上のスピードで進んだのかもしれません。日本人は逆境に強かったのでしょう。
この写真を見て初めは富士登山の前に浅間大社に寄ったんだなくらいに思っていました。

昭和20年代の富士登山の写真左の写真の左から2番目が女学生だったころの母です。
池の畔で撮られているので、湧玉池の畔でしょうか。

白いキャンバスのズック靴に白い綿のシャツ。
みんな水筒を肩からたすき掛けにし、手には富士登山名物の金剛杖を持っています。

ここで気づいたのですが、杖を持っていると言うことは歩いている最中に寄ったと推定されるのです。
考えてみれば、この時代、学校行事で気軽にチャーターできるような観光バスがあったでしょうか。
そう考えると、国鉄身延線で富士宮駅に行き、そこから歩いて浅間大社に至ったのではないでしょうか。そうなると、富士山スカイラインなど当然無い時代、村山浅間神社経由で村山古道を歩き富士山に登ったのかもしれません。

昭和20年代の富士登山の写真

この写真は全員で撮っているので後方に見える山小屋に宿泊し、出発する直前に撮られたものだと思われます。背後にちょこっと頭だけ見えている山稜は宝永山ですので、富士宮登山道の七合目ではないかと思います。
富士宮駅から七合目まで団体で、しかもこの装備で・・・。
ひょっとすると村山あたりでもう1泊したのかもしれませんが、今ではとても考えられない歩行距離です。

以前、母から聞いた話では、下山は砂走りを走ったと聞いていたので、御殿場へ降りたのだと思います。
私もテレビ番組の取材で富士宮七合目に宿泊し、頂上を経て御殿場へ下った経験がありますが、かなり長い距離であったと記憶しています。とても御殿場駅まで歩くことは想像できないです。

昔の人たちは本当にタフだったのだなあと感心します。

今では富士山の登山ガイドをする私ですが、実は40歳を過ぎるまで登ったことがありませんでした。大学生の時、日本第2位の高さの南アルプス北岳を登った後、母が「私はもっと高い富士山に登っているよ」という自慢話を聞いて以来、富士山には登らないでおいたのでした。

さて、今年も一応、一度は登っておこうと思っています。
仕事でなくプライベートで。

富士山(静岡県側)マイカー規制日は下のとおりです。
富士宮口だけでなく須走口でも行われます。

昭和20年代の富士登山の写真

マイカー規制日は水ガ塚駐車場などに駐車してシャトルバスかタクシーを利用することになりますが、
駐車場も有料になるとのことです。でも渋滞で何時間も待たされることを考えれば大英断だと思います。

先日のSBS学苑の富士登山のレクチャーで、
「子供連れなのでクルマで行きたいのだけれど平日なら大丈夫か?」という質問がありました。
マイカー規制の無い日は平日でも激混みが予想され、五合目登山口まで辿り着けない可能性もあるかもしれません。
仮に登れたとしても駐車場所は登山口より何キロも下った場所になるでしょう。

マイカー規制日に水ガ塚駐車場からタクシーで登山口まで行かれることをお薦めします。


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Posted by エディ タチカワ at 12:00│Comments(7)富士登山
この記事へのコメント
私も高校生の時に行きました。
頂上まで行く(1泊)コースと途中で帰って来るコースとあって、
当然「途中で帰って来るコース」を選びました。
須走りを走って下ってきました。
一度走り出すと足が止まらなくなり、それがおもしろくて、
友達と大笑いしながら下りました。
 
・・先ず健康と明るい心  女子商の校訓です。
Posted by ゆみ at 2011年06月24日 16:52
とっても清潔な印象を受けます。羨ましい時代でかもしれません。でも、最近の若者だって素晴らしいところがいっぱいありますよね。
Posted by sasaki at 2011年06月24日 23:01
お母さまのお若い時代のたくましい行動力と清廉な美しさを感じます。
孝行息子がこれらの思い出の写真を紹介してくれたことをお母さまはどんなに喜んでおられることか。
いい供養になりましたね。
それにしても当時のモノクロ写真お母さまのお若い時代のたくましい行動力と清廉な美しさを感じます。
孝行息子がこれらの思い出の写真を紹介してくれたことをお母さまはどんなに喜んでおられることか。
いい供養になりましたね。
それにしても当時のモノクロ写真のなんと保存性の良いことか!
現在のデジタルデータは数十年後残っているでしょうか?
自分の消えたあと妻や子供達から誤解を招くような写真や日記などは焼却処分しておいたほうが良さそうですね?
エディさんは無いですか?^^;
Posted by natty at 2011年06月25日 01:13
文章が重複してしまってすみませんm(_ _)m
Posted by natty at 2011年06月25日 01:17
ゆみさん

同じ学校だったんですね。
母も砂走りがおもしろかったようです。
しかも今も富士登山の伝統を続けていたなんて。すごいですね。
Posted by エディ タチカワ at 2011年06月25日 20:26
sasakiさん

当時の女学生の平均的なスタイルだったのかもしれませんが、
今ならジャージなどの運動用の服装になるのでしょうが、
当時はなかったのでしょうか。
シンプルなのが良いですね。
Posted by エディ タチカワ at 2011年06月25日 20:40
nattyさん

ありがとうございます。
戦後すぐの時期なのに、富士登山ができたのが驚きです。
震災も酷かったのですが、戦後の荒廃と比べれば復興も早いのではないかと思います。
静岡市もこの頃は戦後復興の最中だったと思います。

やはり、自粛とかではなくて、どんどん平常に戻して積極的にいろんな行動をおこすべきなのかと思いまうす。

母のアルバムを整理していますが、変色が激しかったのは、デジカメで撮り、プリンターで印刷した写真でした。
Posted by エディ タチカワ at 2011年06月25日 20:50
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