2025年05月17日
愛知史跡巡り 犬山城と小牧城
今週は波が小さく海に行ってもあまり面白くないし時間の無駄になりそうなので、かねてより作っておいた行きたいところリストから日帰りで行けるところを選び行く事にしました。
妻がフランク・ロイド・ライトの建築が見たいというので明治村と、歴史好きの私が行きたかった犬山城に行くことを思いつきました。

ところが、小牧基地を飛び立った自衛隊機が入鹿池に墜落したニュースが伝わりました。

入鹿池に隣接する明治村は臨時休業となりました。
そこで、計画を変更して犬山城と小牧城に行く事にしました。
犬山城は日本最古の現存する天守がある城郭として私が子供だった頃の昭和の時代でも観光地として知られていました。
近隣の明治村やモンキーセンターなどもありあまりにベタな観光地というイメージがありこれまで行く事がなかったのです。
一昨年の大河ドラマ『どうする家康』では豊臣秀吉が徳川家康と対決した『小牧・長久手の戦い』で秀吉の本陣が置かれた重要拠点として描かれ行ってみたいと思ったのでした。歴史家の中には日本の歴史の重要な戦いとして有名な『関ケ原の戦い』よりも家康の成功の鍵になったのはこの『小牧・長久手の戦い』と言う人も多いのです。
高速道路を使い約2時間半、犬山城に到着。道路が良いので伊豆下田へ行くのと同じくらいの時間で岐阜あたりまで行けてしまいます。
ただ、高速道路を降りたら片側3車線の国道は10トンクラスのトラックがぎっしり。クルマの量、物流の量は静岡とは段違い。
現代でも戦国時代でも物流から上がる税収は大大名であった駿河・遠江の今川よりも小大名と言われた尾張の織田のほうが上回っていたと言えます。要は財力があったから最新兵器の鉄砲や火薬・鉛玉を大量に揃えることができて天下が取れたとも言えます。


さて、先ずは犬山城に登城せねば。
犬山城は織田信長の叔父織田信康が築城した城。入場料をPeyPeyで払って門を入って中へ。来場者は年齢は高め、日本人と外国人と思われる人の率は半々に思われます。
人は少な目ですぐに入れましたが、狭くて急な階段は年寄りにはやや大変そうでなかなか前に進みません。
ただ、先日の松本城の報道のように数時間待ちということは無いですが、入り口前の広場には人が並んで待つパーテーションが設置されていたので、土日は待ち時間があるのかと思います。

山城なのでそれほど大きくはないですが、国宝の本物の威厳と迫力はあります。

この城は木曽川に面した濃尾平野の扇の要の場所の崖の上という要害でありロケーションも最高。
もしも城が現代の複製だったとしても観光には魅力的な場所だと思います

鎧兜の展示もありました。


天守の最上階からの景色も最高。
ただ私にはこちら↓の景色が気になりました。

名古屋方面の平野のなか10kmほどの所に小さな山がかすかに見えます。
これぞ小牧山です。

城からの景色も堪能でき、外へ出ました。花崗岩の石垣が美しいです。
そこから木曽川の河原へ降りて、地上から城を見上げてみました。攻めにくく良く出来た城ですね。

お腹が減ったのでランチを。

城下町にある『うな久』さんでひつまぶし。
我々静岡人はウナギといえば浜名湖と刷り込まれていますが、今や鹿児島県がウナギの出荷量1位、2位が愛知県です。
愛知県は静岡県の約2.8倍の出荷量なのです。(鹿児島は静岡県の約4.5倍)
静岡よりもおおむね値段も安く感じました。ひつまぶしの発祥は名古屋周辺のようですね。

さて、びっくりしたのが犬山城の城下町。観光地にお土産屋の商店街はつきものですが、伊勢神宮のおかげ横丁のような賑わいで、特にスイーツの店の多さに驚きました。今時の流行のスイーツは全て網羅しているのではないかと思うくらいの数。熱海も凄いらしいですが観光地嫌いの私には驚くことばかりでした。気づくのは城とは違い圧倒的に若い人が多い事です。

そんな中で、妻が犬山ローレライ麦酒館と言う店を見つけました。
何でローレライ?と思いましたが、近くの木曽川では日本ライン下りの川下りがありますからね。
街道沿いの古民家をリノベーションしたおしゃれな店。



3種の試飲セットがあり小あがりみたいなスペースに座っていただきました。
とは言っても運転がある私はほうじ茶ラテでしたが。
ここの2階は着物のレンタル屋さんで若い人が着物姿で城下町を歩き写真を撮っていました。SNSの時代だから以前よりも需要が大きいのだと思います。
次は小牧城。犬山城が楽しすぎて夕方にかかってしまいました。

小牧市役所の正面に巨大な土塁。少し上に登ってみると

小牧・長久手の戦いの時に徳川方が構築した虎口につながる溝がはっきりわかりました。
家康側は秀吉が戦力差を生かして岡崎城攻撃に出ることを予測して、秘密裏に大部隊で追撃できるように作った大掛かりな秘密の出撃用通路です。
そもそも小牧・長久手の戦いは秀吉と織田信雄の衝突から始まり、緒戦は池田恒興が秀吉側に味方して犬山城を急襲し確保。
対する織田信雄と徳川家康は清州城に集結。そして小牧山に陣を移し強固な防衛ラインを構築します。
秀吉軍10万人、信雄・家康軍1万5千人という圧倒的な戦力差がありましたが小牧山の防衛ラインは強固で戦況は膠着。
それを打破するために秀吉側は戦力差を生かした別動隊(信雄・家康軍よりも大人数)を密かに家康の本拠地岡崎城攻撃に向かわせます。ところがこの策略を見破った家康はこの2重の土塁の溝から秘密裏に出撃し別動隊を長久手に奇襲し打ち破り池田恒興や森長可の首をあげる大勝利となりました。そこで大活躍したのが榊原康政や武田の赤備えを引き継いだ井伊直政。そして本田忠勝もたった500人で秀吉の大軍団を押し留めました。大河ドラマでは山田裕貴の「ここから先は一歩も通さん!」の口上が記憶に残りました。
強さこそ正義であった戦国時代に圧倒的な戦力差の天下人豊臣秀吉を打ち破った「戦上手」の実力者家康として世間の信頼を勝ち得たことが徳川幕府に繋がったと言えると思います。

小牧山の頂上には城の形をした小牧山歴史館があります。
小牧・長久手の戦いの両軍の動きなどもわかる展示がありました。

近年、織田信長時代の石垣の発掘補修が行われとても美しく整備されていました。
「歴史は繰り返す」という言葉がありますが、歴史から学ぶ人の考えや行動は未来の人の考えや行動の道しるべになる大事な教科書なのだと思います。

「で、あるか。」
妻がフランク・ロイド・ライトの建築が見たいというので明治村と、歴史好きの私が行きたかった犬山城に行くことを思いつきました。

ところが、小牧基地を飛び立った自衛隊機が入鹿池に墜落したニュースが伝わりました。

入鹿池に隣接する明治村は臨時休業となりました。
そこで、計画を変更して犬山城と小牧城に行く事にしました。
犬山城は日本最古の現存する天守がある城郭として私が子供だった頃の昭和の時代でも観光地として知られていました。
近隣の明治村やモンキーセンターなどもありあまりにベタな観光地というイメージがありこれまで行く事がなかったのです。
一昨年の大河ドラマ『どうする家康』では豊臣秀吉が徳川家康と対決した『小牧・長久手の戦い』で秀吉の本陣が置かれた重要拠点として描かれ行ってみたいと思ったのでした。歴史家の中には日本の歴史の重要な戦いとして有名な『関ケ原の戦い』よりも家康の成功の鍵になったのはこの『小牧・長久手の戦い』と言う人も多いのです。
高速道路を使い約2時間半、犬山城に到着。道路が良いので伊豆下田へ行くのと同じくらいの時間で岐阜あたりまで行けてしまいます。
ただ、高速道路を降りたら片側3車線の国道は10トンクラスのトラックがぎっしり。クルマの量、物流の量は静岡とは段違い。
現代でも戦国時代でも物流から上がる税収は大大名であった駿河・遠江の今川よりも小大名と言われた尾張の織田のほうが上回っていたと言えます。要は財力があったから最新兵器の鉄砲や火薬・鉛玉を大量に揃えることができて天下が取れたとも言えます。


さて、先ずは犬山城に登城せねば。
犬山城は織田信長の叔父織田信康が築城した城。入場料をPeyPeyで払って門を入って中へ。来場者は年齢は高め、日本人と外国人と思われる人の率は半々に思われます。
人は少な目ですぐに入れましたが、狭くて急な階段は年寄りにはやや大変そうでなかなか前に進みません。
ただ、先日の松本城の報道のように数時間待ちということは無いですが、入り口前の広場には人が並んで待つパーテーションが設置されていたので、土日は待ち時間があるのかと思います。

山城なのでそれほど大きくはないですが、国宝の本物の威厳と迫力はあります。

この城は木曽川に面した濃尾平野の扇の要の場所の崖の上という要害でありロケーションも最高。
もしも城が現代の複製だったとしても観光には魅力的な場所だと思います

鎧兜の展示もありました。


天守の最上階からの景色も最高。
ただ私にはこちら↓の景色が気になりました。

名古屋方面の平野のなか10kmほどの所に小さな山がかすかに見えます。
これぞ小牧山です。

城からの景色も堪能でき、外へ出ました。花崗岩の石垣が美しいです。
そこから木曽川の河原へ降りて、地上から城を見上げてみました。攻めにくく良く出来た城ですね。

お腹が減ったのでランチを。

城下町にある『うな久』さんでひつまぶし。
我々静岡人はウナギといえば浜名湖と刷り込まれていますが、今や鹿児島県がウナギの出荷量1位、2位が愛知県です。
愛知県は静岡県の約2.8倍の出荷量なのです。(鹿児島は静岡県の約4.5倍)
静岡よりもおおむね値段も安く感じました。ひつまぶしの発祥は名古屋周辺のようですね。

さて、びっくりしたのが犬山城の城下町。観光地にお土産屋の商店街はつきものですが、伊勢神宮のおかげ横丁のような賑わいで、特にスイーツの店の多さに驚きました。今時の流行のスイーツは全て網羅しているのではないかと思うくらいの数。熱海も凄いらしいですが観光地嫌いの私には驚くことばかりでした。気づくのは城とは違い圧倒的に若い人が多い事です。

そんな中で、妻が犬山ローレライ麦酒館と言う店を見つけました。
何でローレライ?と思いましたが、近くの木曽川では日本ライン下りの川下りがありますからね。
街道沿いの古民家をリノベーションしたおしゃれな店。



3種の試飲セットがあり小あがりみたいなスペースに座っていただきました。
とは言っても運転がある私はほうじ茶ラテでしたが。
ここの2階は着物のレンタル屋さんで若い人が着物姿で城下町を歩き写真を撮っていました。SNSの時代だから以前よりも需要が大きいのだと思います。
次は小牧城。犬山城が楽しすぎて夕方にかかってしまいました。

小牧市役所の正面に巨大な土塁。少し上に登ってみると

小牧・長久手の戦いの時に徳川方が構築した虎口につながる溝がはっきりわかりました。
家康側は秀吉が戦力差を生かして岡崎城攻撃に出ることを予測して、秘密裏に大部隊で追撃できるように作った大掛かりな秘密の出撃用通路です。
そもそも小牧・長久手の戦いは秀吉と織田信雄の衝突から始まり、緒戦は池田恒興が秀吉側に味方して犬山城を急襲し確保。
対する織田信雄と徳川家康は清州城に集結。そして小牧山に陣を移し強固な防衛ラインを構築します。
秀吉軍10万人、信雄・家康軍1万5千人という圧倒的な戦力差がありましたが小牧山の防衛ラインは強固で戦況は膠着。
それを打破するために秀吉側は戦力差を生かした別動隊(信雄・家康軍よりも大人数)を密かに家康の本拠地岡崎城攻撃に向かわせます。ところがこの策略を見破った家康はこの2重の土塁の溝から秘密裏に出撃し別動隊を長久手に奇襲し打ち破り池田恒興や森長可の首をあげる大勝利となりました。そこで大活躍したのが榊原康政や武田の赤備えを引き継いだ井伊直政。そして本田忠勝もたった500人で秀吉の大軍団を押し留めました。大河ドラマでは山田裕貴の「ここから先は一歩も通さん!」の口上が記憶に残りました。
強さこそ正義であった戦国時代に圧倒的な戦力差の天下人豊臣秀吉を打ち破った「戦上手」の実力者家康として世間の信頼を勝ち得たことが徳川幕府に繋がったと言えると思います。

小牧山の頂上には城の形をした小牧山歴史館があります。
小牧・長久手の戦いの両軍の動きなどもわかる展示がありました。

近年、織田信長時代の石垣の発掘補修が行われとても美しく整備されていました。
「歴史は繰り返す」という言葉がありますが、歴史から学ぶ人の考えや行動は未来の人の考えや行動の道しるべになる大事な教科書なのだと思います。

「で、あるか。」