2013年04月03日

バンダアチェトリップ その9

3月18日 トリップ日7目 アチェ6日目

到着したその日からムクリスさんが話していた、まだほとんど知られていない夢のポイント。
去年、日本のトップランカーを擁する千葉の某サーフボードチームを連れて行った時の写真くらいしかない所のようです。
その時は波が小さくて良くなかったのだそうですが、いい時はロングライドできる素晴らしい波だそうです。
そこは、ロンガ村からクルマで2時間、ボードで15分ほどの島にあるそうです。

ローカルの上手い連中の間でもまだ行った事がない人が多いと言う憧れのポイントで、フランス人が発見した場所だそうです。
土地の漁師達が管理している島らしく、彼らの許可が必要でコネがないと入れません。
また、敬虔なイスラム教徒のためか女人禁制の島だそうです。
そういった島へ冒険に行くことこそ私の夢の一つ。
ちょっと費用がかかりますが、仙台のKenyaさんも行きたいと言っているので全員で行くことになりました。

バンダアチェトリップ その9

ムクリスさんの手配でガイドの子達がクルマで迎えにきました。
インドネシアの国民車トヨタ・キジャンにボード7本と7人が乗り込み出発しました。

バンダアチェトリップ その9

途中、山岳地帯を抜けますが、道がとても良く快調。
震源地に近くインド洋大津波で最大の被害が出たこの地区の道路は
アメリカが来て素晴らしい道路を作っていったのだそうです。
毎日使う快適な道路はそこに暮らす一般市民に利便性をもたらし
「アメリカに感謝」という気持ちを持たせたようです。
日本のODA(政府開発援助)が日本製プラントを使わせるために住民の反対する石炭火力発電所なんかを作ってしまうのとは大違いじゃないかなと思います。
欧米諸国は同じ援助でも住民の心理を戦略的に考えて現地にその国のファンを増やすような行動をしているに違いありません。

バンダアチェトリップ その9

途中のレストランで朝食をテイクアウトしました。
その店頭にあった地元新聞。

バンダアチェトリップ その9

なんとカラー1面のトップ記事に昨日のアチェのサーフィン大会の記事。
あんな小さな大会なのにトップ記事とは平和になったんだなと実感するとともに、アチェではサーフィンが市民権を得ていることも伺えます。
海外からの援助もジャワ人のジャカルタ政府に持っていかれるより、ささやかではあっても我々のように確実に地元の庶民にお金を落としてくれるサーファーは今後のアチェの発展に寄与するかもしれないと思っているのかもしれません。
バリ島の観光は当初は政府の主導でしたが、他のリゾートと違いサーフィンや芸術という要素があったから大発展したと思います。
大津波被害でインフラが再構築され、ゼロからスタートがきれたアチェ
今後の発展は驚くべきものがあるかもしれません。

バンダアチェトリップ その9

絶景ポイントに並ぶ茶店。
早朝のお客さんは大勢の

バンダアチェトリップ その9

サルたちだけでしたが・・・・。

バンダアチェトリップ その9

こちらのお店でテイクアウトした朝食を頂きました。

バンダアチェトリップ その9

ガイドの彼は昨日の大会で4位だったそうです。

バンダアチェトリップ その9

ガラスのコップに淹れた熱いコーヒー。
こちらはこういうスタイルのようです。

バンダアチェトリップ その9

トイレに行きました。これが標準的です。
手桶で水を汲んで自分で流す水洗式。
トイレットペーパーはありません。
右手で水をすくって、左手で拭く。もちろん我々はペーパー持参です。
トイレはどこもとても清潔でした。アチェのひとはかなりのきれい好きかもしれません。
水で洗う習慣が昔からあるので、ジャカルタのエアポートホテルのトイレには
原始的なウォシュレットのようなノズルが付いていました。
これは30年以上前からあるそうで、ウォシュレットは決して日本の発明品ではないと思います。そういえば、スリランカのトイレも便器の横に小さなシャワーが付いていました。
紙で拭く文化の土地と水で洗う文化の土地という差だけでどちらが遅れているということではないのでしょう。

バンダアチェトリップ その9

通勤通学時間帯になりましたが人の少ないエリアなのでクルマは快調に飛ばします。

バンダアチェトリップ その9

平地を走るとこんな風景が目に入ります。
何気なく見てしまいますが、椰子の木がまばらにあるのは「かろうじて残った木」なのです。
椰子の木の林もほとんど大津波でなぎ倒され、海岸の松林は根こそぎ持っていかれました。
でも、その後に自然に木々が生えてきているのです。

バンダアチェトリップ その9

高台に差し掛かると同じ形をした復興住宅が並んでいます。
この辺りのほとんどの村は全滅しています。
立っている建物のほとんどが震災以降に建てられたものです。
各国の援助で建てられた復興住宅は住民に無償で配られています。
ただ、多く建てすぎて被災者一人当たり2軒にあたるそうで、空き家が目立ちます。
インドネシアは賄賂社会。復興住宅を建てれば建てるほど業者や役人は儲かりますから。
義捐金もこうした使われ方をしてしまうと切ないですね。
やはり、被災地には市民レベルで出掛けて地元住民に直接お金を落としてくるのが最も効率の良い復興支援なのではないかと思いました。
これからは、例えば、喜多方(福島県)にラーメンを食べに行くとか仙台(宮城県)に牛タンを食べに行くとかが最適な支援になるのではないかなと思います。要はその地域の経済を少しでも早く活性化させてあげて勢いをつけることだと思います。

バンダアチェトリップ その9

目的地の島の近くで売店に寄りました。
ここでムクリスさんがお昼ご飯を注文。最高のコーディネーターです。

バンダアチェトリップ その9

漁師が売買交渉をしているのが

バンダアチェトリップ その9

立派な海老です。たくさんいるんだろうなあ。

バンダアチェトリップ その9

これは何かと思ったら、ガソリンスタンドです。
この中にタンクがあって量り売りしているようです。
バイクや漁船の船外機に使うのでしょう。

バンダアチェトリップ その9

売店の少し先の小さな川の河口が船着場。

バンダアチェトリップ その9

漁業の資材置き場の向こうに広がる美しい海

バンダアチェトリップ その9

アスファルトの道路が途切れています。
なんと、目の前の広がる美しい海は、大津波の前は「陸地」で幾つかの村があったのだそうです。
はるか対岸に見える半島までこの道は続いていたのだそうです。
ざっと見て静岡市の久能と安倍川くらいの距離の土地が地震の地盤沈下と大津波でごっそり沖に流れていったと言うことです。

バンダアチェトリップ その9

その痕跡は海中に僅かに残る椰子の木の根っこが示すのみです。
想像を絶する驚くべき大津波の力。

バンダアチェトリップ その9

船着場で待つこと15分、船が来たと思ったら先ずは獲物の荷下ろし。
携帯電話で呼ばれて漁から戻ってきたのでした。
これほどの僻地でも皆が携帯電話持っています。必需品です。

バンダアチェトリップ その9

いよいよボードを積み込んで

バンダアチェトリップ その9

夢のサーフポイントへ

バンダアチェトリップ その9

島はすぐそこ。

バンダアチェトリップ その9

無人島の真っ白な砂浜にボートで上陸。
パイレーツ・オブ・カリビアンみたいだ。

バンダアチェトリップ その9

ポイントのある島の東側へ歩きました。

バンダアチェトリップ その9

見えてきたロケーションは1月のブログで紹介した
スリランカのミリッサのよう。
砂浜はありませんが、見た目の波質は日本人好みの弛めのムネ~カタ

バンダアチェトリップ その9

アウトサイドのテイクオフポイントは1箇所で、そこに来る見た目掘れているが、実は掘れないムネ以上の波に乗ればイージーテイクオフ。
その先はスローに崩れる波をカットバックを繰り返しながら乗っていくという感じです。
ミドルでダンパー気味に落ちてしまう波で終了しても大満足な距離ですが、
大き目のセットに乗るとインサイドまで乗り継げる超ロングライド。
この長さはかつて経験したことがない長さでした。

バンダアチェトリップ その9

ちょっとタルイですが、私のような年寄りには最適な波。
どちらかというとロングボード向きな波質ですが、ショートでも充分でしょう。
ただし、小さめでも乗れる波があるのですが、これに乗ってしまうとミドル手前の岩礁帯に入り込み、岩を除けながらのパイロンスラロームを強いられますのでムネ以下の小さい波はNGです。
私は数本乗ったところで持病のヒザ痛が出てきてしまい、連日のサーフィンで無理がでてきた左大腿部の痛みも加わって早々にリタイヤ。

バンダアチェトリップ その9

漁師の若者がお昼を持ってきてくれました。
ただし、

バンダアチェトリップ その9

スプーンやフォークを使う習慣がないので持って来てくれませんでした。
そこで大きな棕櫚の葉の幹を使ってアーミーナイフでスプーンを自作しました。

バンダアチェトリップ その9

ワイルドで美味しかったです。
右下の卵はニワトリではなくアヒルだそうです。

バンダアチェトリップ その9

ワイルドだろ。

バンダアチェトリップ その9

右奥からスローにこの長さですよ。何回カットバックしたか忘れるくらい。

午後は雲って風も強まりました。

バンダアチェトリップ その9

多少風をかわすミドルからも乗れます。
こちらの方が掘れて急行列車となります。

バンダアチェトリップ その9

バレルを狙ってみるKenyaさん

バンダアチェトリップ その9

果敢にいい波に乗っていくKazuma

バンダアチェトリップ その9

夢のように『ちょうどいい』いい波に乗れました。
ムクリスさん、ガイドのお二人ありがとう。
親方、Kazuma、Kenyaさん、一緒に最高の波に乗れて良かったです。
バンダアチェに来るならこのミニ・トリップは絶対にお薦めです。これだけに来る価値アリかも。
バンダアチェではサーフシーズンは冬だけなので、年間を通してゲストハウスを経営していけないのだそうです。ムクリスさんは夏は農業をしているそうです。
このポイントはバンダアチェのオフシーズンである夏でもできるそうで、
今回のセッションの写真を東京のOM Tourに送って新しいツアーとして売込みたいようです。

彼のように素晴らしい人格のアチェの人が主導してサーフ・ツーリズムをこの地に根付かせ良い形で発展させてくれると良いなと思いました。

バンダアチェトリップ その9

3時過ぎには島を撤収。

バンダアチェトリップ その9

帰りには往きで見かけた絶景ポイントの茶店に寄りました。
こんな店が街道沿いに何十件も並んでいました。

バンダアチェトリップ その9

絶景ですが、この沖の島、震災前は地続きの半島だったそうです。
驚きです。。

このお店、日曜日にはバンダアチェ市内からカップルや家族連れが押し寄せ満員になるのだそうです。
厳しい戦争と大災害の歴史のアチェですが、今は本当に明るい未来が見えているのですね。


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Posted by エディ タチカワ at 20:51│Comments(3)サーフィン
この記事へのコメント
あなたのウェブサイトは非常に美しいです
Posted by คาสิโนออนไลน์ at 2013年04月03日 21:18
エディさん初めまして。
ネットでアチェの情報を探していたところ、素晴らしいブログと出会えました。
有難うございます。
ひとつ、お尋ねさせて戴いて宜しいでしょうか?

現地での、お酒の調達は無理でしょうか?

サーフ後の冷えたビンタン、これがないと、かなり淋しいものがあります。

例えば、ホテル、レストランなどであれば、手に入れられるものなのでしょうか?

不躾に話しかけ申し訳ありません。
ご教示頂けると助かります。
Posted by 太郎 at 2014年11月25日 15:03
太郎さん

ご覧いただきありがとうございます。
アチェの情報はあまりないのが実情ですね。

さて、バンダァチェがあるアチェ州は数年前まで血で血を洗う壮絶な反政府ゲリラとの内戦が繰り広げられていた土地とであることを心して行動してください。しかし、8年前の大津波で10万人以上が死に、世界各国の援助で救われたことで地域の人々も大きく変わったようです。
ただし、アチェはインドネシアで唯一『イスラム法』が認められている土地。西洋化された一方で、厳格なイスラムの法が適用されます。その厳しさはイラン並みとも言われています。お酒は法律で禁じられていることを承知してください。姦通罪が存在し発覚したら公開死刑になる可能性があることも承知してください。スーパーでもデパートでもお酒は売っていません。
でも、世の中にはいろいろと抜け道もあるもの。
このブログも当局のチェックが入っている可能性がありますので書けませんが、現地に行けばビールの心配はいらないと思います。OMツアーを利用する予定なら直接聞いてみてください。
Posted by エディ タチカワエディ タチカワ at 2014年11月25日 18:11
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