2013年05月22日

マイネーム イズ サーファー

2日前のこと、職場からの帰りにJR線に乗ろうとしたら人身事故で遅れが出ていました。
東静岡駅から静岡駅まで電車で2分かからないところを駅で1時間近く待たされてようやく静岡駅に辿りつきました。
気分転換のため、駅ビルの江崎書店へ寄ってみました。
そこで目に留まったのが

マイネーム イズ サーファー

近江俊哉著『マイネーム イズ サーファー』という文庫本。(2008年エイ出版刊)
近江俊哉氏と言えば、世界サーフィンの最高峰の大会を運営するASP(Association of Surfing Professionals)の日本の窓口ASP Japan(世界プロサーフィン連盟日本支局)のゼネラルマネージャー。
かつてはJPSAプロサーファーとして日本各地を転戦し、世界にも進出、その後はサーフィンカメラマン・ジャーナリストとして活躍していました。

私がサーフィンを始めて最初に気になったサーファーが近江俊哉だったのです。

私は大学4年の時にサーフィンを始めるために湘南の鵠沼海岸に引っ越しました。
サーフボードを買う前に海辺に引っ越したというのが私らしいと思っています。
鵠沼松が岡2丁目に4畳半ひと間のアパートを借りたのですが、ここから小田急線1本で通えるというラッキーな場所にある大学に通っていたからできたことでした。

ボディボード歴は1年でしたが、サーフィンはド初心者の私は毎朝、自転車で鵠沼プールガーデン下のポイントに通い始めました。そこは、確実に湘南サーフィンの中心地で、いつも隣には善家誠、小林正明、林利夫など当時のトッププロが揃ってラインナップしていました。
そんな場所で、私が買った上杉俊二シェープのボードと全く同じカラーリングのボードに乗る高校生がいました。
そのボードも私好みの派手で目立つカラーリング。
私のはシングルフィンでしたが、彼のボードはツインフィン。両肩にファスナーがある特徴的なDOVEのウェットスーツを着た小柄な彼は、メチャメチャ上手かったです。
大きな波の掘れたポケットから軽く刺してテイクオフする「エディの飛び乗り」と仲間から呼ばれている技は彼から盗みました。
いつも近くで波乗りをしていて時には波取り争いをしたこともありました。
同じカラーのボードを持った下手くそな私の存在は彼にとって鬱陶しかったかもしれません。

数ヵ月後、当時発行されていた『SURF マガジン』の鵠沼特集を見た時、若手注目株として彼が大きく取り上げられていて近江俊哉という名前であることを知りました。

20歳くらいの頃の4歳の年齢差って大きくて、ただの生意気そうな悪ガキだと思っていたのですが、
あれから30年、素晴らしいレジェンドたちと世界中を旅し、一丁前になりやがったなと感じています。

数年前に語ったサーフィンの歴史についてのお話 ↓



この時代の人間にサーフィンの歴史を語らせたら『free ride』は必ず出てきますね。
古き良き時代から同じ時代を通って来れたことは幸福なことだと感じます。


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Posted by エディ タチカワ at 20:51│Comments(0)サーフィン
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