2013年09月04日
SURF いつものところ 9月4日
今朝は朝5時に起きて、波情報を見る前に先ずはナウファスチェック。
高知港と和歌山県の潮岬


明らかに台風のうねりが入り始めています。
さらに、三重県尾鷲沖。

まだ周期は短いものの上がる傾向です。
ちょっと期待して御前崎沖は・・・

やはりガッカリ。周期は上がる気配がありません。
この時点で海に行くのを止めようかと悩みましたが、一応行ってみることにしました。

いつものところです。
今日もいつものメンバーが誰もいませんでした。

今日は6時丁度に家を出て、コンビニで買い物をしてから東名袋井IC経由で出掛けたのですが、
現地到着は何と7時前!。普通に走って1時間以内で到着できることが確認できました。



昨日よりもサイズはありますが、東風のため、ヨレ気味。
あまり入る気が起きません。
昨日はトランクス&べストで入ったのですが、かなりの箇所をチンクイにヤラレました。
この波で、ロングジョンは暑苦しくてイヤな感じ。

西側をチェックしてみました。風が入りグチャグチャ。誰もいません。
本来はドレインパイプよりもこちら側が皆さんのメインのポイント。
例年ですとドレインパイプの波が良くなる期間は短くて、頭くらいのサイズのうねりが必要でした。
今年はとても長い期間ドレインパイプ周辺の地形が良い状態に保たれている希な例でしょう。
8時になったので、堤防の上にクルマを止め、あまちゃんタイム。
1週間ほど忙しくて見られなかったので、ドラマの速い進み具合にびっくり。
もう大震災のシーンも終わっているんですね。
さあ、地元に帰ろう。

150号線沿いの平成の命山の建設もだいぶ進みました。
津波から命を守る施設ですが、まだまだ数が足りなさすぎですね。
自分も、もしこのあたりで津波警報を聞いたらどこへ逃げるか知っておくべきでしょう。
そんな候補地でわかりやすいのがこちら

以前から気になっていた大須賀城址です。せっかく時間があるので行ってみました。
戦国時代の武田氏と徳川氏の激突の歴史の中でも重要だった城の一つ、高天神城を攻略するために徳川家康が作らせた城です。

本丸址から海側を望むと、海岸まではかなりの距離で、その間は団地や住宅地が広がっていました。

公園内にあった城の模型をみて驚きました。
江戸時代にはこの城のすぐ目の前に入江が広がっていたのですね。
つまり、ここが海岸だったのです。ですから大須賀の町は海抜が低く、もしも津波に襲われたら甚大な被害が出るでしょう。
歴史を知ることは未来を予想するには欠かせないことだと思います。

こうなるともう一方の高天神城も見たくなり、行ってみました。
一つの好奇心が、次の疑問を産み、次の知識欲へと繋がっていきます。
知りたいと思うと行動せずにはいられません。まあ、これが生きることの活力なのだと思います。
高天神城はとんでもなく僻地にありました。こんなところが戦略的重要地点だったのだろうか。
大勢の人の命が失われる激戦が行われるほどの戦いが必要だったのだろうか。疑問が生じます。

天神社の鳥居をくぐると、強烈な傾斜の石段があり、大汗をかいて登ると

遠く遠州灘までの眺望がありました。
ここは菊川沿いの交通路と遠州灘側を望める小笠山の南東端にあるのですね。
いわば、武田の南の最前線。菊川と海路の両方から戦略物資を運び込める要衝なのかもしれません。

朝なのに城址には私の他もうひと組の見学者がおりました。
品川ナンバーのマイクロバスで来ていた集団は、
迷彩服に身を包んだ自衛隊の方々でした。
戦略についての勉強なのでしょうか。

一応、これがあったので、お約束ということで。
高知港と和歌山県の潮岬


明らかに台風のうねりが入り始めています。
さらに、三重県尾鷲沖。

まだ周期は短いものの上がる傾向です。
ちょっと期待して御前崎沖は・・・

やはりガッカリ。周期は上がる気配がありません。
この時点で海に行くのを止めようかと悩みましたが、一応行ってみることにしました。

いつものところです。
今日もいつものメンバーが誰もいませんでした。

今日は6時丁度に家を出て、コンビニで買い物をしてから東名袋井IC経由で出掛けたのですが、
現地到着は何と7時前!。普通に走って1時間以内で到着できることが確認できました。



昨日よりもサイズはありますが、東風のため、ヨレ気味。
あまり入る気が起きません。
昨日はトランクス&べストで入ったのですが、かなりの箇所をチンクイにヤラレました。
この波で、ロングジョンは暑苦しくてイヤな感じ。

西側をチェックしてみました。風が入りグチャグチャ。誰もいません。
本来はドレインパイプよりもこちら側が皆さんのメインのポイント。
例年ですとドレインパイプの波が良くなる期間は短くて、頭くらいのサイズのうねりが必要でした。
今年はとても長い期間ドレインパイプ周辺の地形が良い状態に保たれている希な例でしょう。
8時になったので、堤防の上にクルマを止め、あまちゃんタイム。
1週間ほど忙しくて見られなかったので、ドラマの速い進み具合にびっくり。
もう大震災のシーンも終わっているんですね。
さあ、地元に帰ろう。

150号線沿いの平成の命山の建設もだいぶ進みました。
津波から命を守る施設ですが、まだまだ数が足りなさすぎですね。
自分も、もしこのあたりで津波警報を聞いたらどこへ逃げるか知っておくべきでしょう。
そんな候補地でわかりやすいのがこちら

以前から気になっていた大須賀城址です。せっかく時間があるので行ってみました。
戦国時代の武田氏と徳川氏の激突の歴史の中でも重要だった城の一つ、高天神城を攻略するために徳川家康が作らせた城です。

本丸址から海側を望むと、海岸まではかなりの距離で、その間は団地や住宅地が広がっていました。

公園内にあった城の模型をみて驚きました。
江戸時代にはこの城のすぐ目の前に入江が広がっていたのですね。
つまり、ここが海岸だったのです。ですから大須賀の町は海抜が低く、もしも津波に襲われたら甚大な被害が出るでしょう。
歴史を知ることは未来を予想するには欠かせないことだと思います。

こうなるともう一方の高天神城も見たくなり、行ってみました。
一つの好奇心が、次の疑問を産み、次の知識欲へと繋がっていきます。
知りたいと思うと行動せずにはいられません。まあ、これが生きることの活力なのだと思います。
高天神城はとんでもなく僻地にありました。こんなところが戦略的重要地点だったのだろうか。
大勢の人の命が失われる激戦が行われるほどの戦いが必要だったのだろうか。疑問が生じます。

天神社の鳥居をくぐると、強烈な傾斜の石段があり、大汗をかいて登ると

遠く遠州灘までの眺望がありました。
ここは菊川沿いの交通路と遠州灘側を望める小笠山の南東端にあるのですね。
いわば、武田の南の最前線。菊川と海路の両方から戦略物資を運び込める要衝なのかもしれません。

朝なのに城址には私の他もうひと組の見学者がおりました。
品川ナンバーのマイクロバスで来ていた集団は、
迷彩服に身を包んだ自衛隊の方々でした。
戦略についての勉強なのでしょうか。

一応、これがあったので、お約束ということで。
SURF 遠州灘 5月13日(火)
SURF 駿河湾内 5月4日(日) Golden Week
SURF 駿河湾内 4月24日(木)・25日(金) べらぼう展
SURF 下田白浜 4月17日(木)
SURF 駿河湾内 4月14日(月)
SURF 駿河湾内 4月7日(月)
SURF 駿河湾内 5月4日(日) Golden Week
SURF 駿河湾内 4月24日(木)・25日(金) べらぼう展
SURF 下田白浜 4月17日(木)
SURF 駿河湾内 4月14日(月)
SURF 駿河湾内 4月7日(月)
Posted by エディ タチカワ at 14:46│Comments(0)
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