2018年02月06日
ベトナム ダナントリップ2018 その5
トリップ6日目(2月4日)
珍しく朝から青空が広がりました。

今日も予報通り波はクローズぎみなので無理せず海はお休み。
今日は午後から世界遺産巡りに行くので遅めの朝食にしました。
食後、海岸に出てみたら、



波が落ち着き、入れるコンディションになっていました。
ここで入るかどうするか悩みましたが、食事をしたばかりだし、どうしようと考えているうちに北風が強まってきたので入るのはやめました。
世界遺産を回るのでその前にベトナムの歴史を知っておきたかったのでお勉強を優先しました。

今回は日本の大手旅行会社のオプショナルツアーを催行している地元の旅行会社のツアーに参加しました。
自力で行ってもよいのですが、世界遺産に行ってベトナム語で解説されても理解できないからです。
こんな時には日本語のガイドが必要です。
参加者は私を含めて8人。各ホテルで拾われて一路ミーソンの遺跡へ向かいました。
ガイドのティエン君は日本語堪能です。彼は多民族国家ベトナムの大多数を占めるキン族だと身分証明書を見せてくれました。ベトナムには54の民族が各地に住むモザイク国家なのです。少数民族が多いということもあり混血による美人の多い国とも知られています。
特にミーソン遺跡を作ったチャンパ族は美人が多いのだそうです。わくわく。

ミーソン遺跡のゲート前でバスを降りました。

黄梅の花です。ベトナムのテト(旧正月)には欠かせない花なのだそうです。

ゲートの先から電動のカートに乗って丘陵地帯を奥へ進みます。
そしてカートを降りた先に小さな舞台のある建物に案内されました。

チャンパ族の女性たちの踊りが始まりました。確かにスタイルの良い美人ぞろい。
ベトナムの民族衣装というとアオザイを思い出しますが、それとは違うチャンバの衣装です。
ベトナムは仏教国ですが、ミーソン遺跡はヒンドゥー教の遺跡です。
ベトナムの歴史を見るとキン族は北のハノイ周辺で中国の影響を強く受けつつ国を作っていました。2世紀ころ中南部にはチャンパ人の王国が栄えていたようです。チャンパ王国はインドのヒンドゥー教の寺院を立てて崇拝していたということは、インドとの交流が盛んだったことが伺えます。この衣装もその影響を受けているのでしょう。

次は笛と太鼓の演奏。
笛の音や演奏法や旋律が何故か日本の雅楽に似ています。日本で東儀秀樹さんが吹く篳篥(ひちりき)そっくりです。
実はこれも遣唐使によって日本に伝えられた物の一つと考えられているようです。チャンパ王国の存在は平安時代の日本でも知られていたようです。

最後は美しい踊りで締めくくられました。インド風の動きです。
ただ、音楽は民族の隆盛を誇った民族の没落を憂うような悲しい響きでした。

さて、いよいよ遺跡の見学です。



レンガ造りの遺跡なうえに、ベトナム戦争時代には解放戦線の隠れ家にもなっていてアメリカ空軍の爆撃も受けたとのことで損傷が激しいです。ミーソン遺跡は広範囲に広がっていて全て見るには2日はかかるそうです。

碑文にチャンバの文字が刻まれていますが、もはや解読は出来ないのだそうです。
ちなみにベトナム(キン族)は中国の影響を強く受けていたので漢字を用いていたそうです。



やはり大陸にある民族は様々な文化が混じり合い、その興亡も激しかったのでしょうね。
久しぶりにこういう遺跡に来て、ほかの遺跡も見に行ってみたいなと思いました。
ツアーバスはもう一つの世界遺産ホイアンに向かって出発


農村の風景。
広がる田畑に、檳榔の木に囲まれたかなり立派な家も見られます。
ベトナムは基本的には中国と深い関係を持ち社会主義国家として中国を見本に改革開放を進めおおむね良好な関係の元に発展してきました。
でも、スプラトリー(南沙)諸島の領土問題で経済的圧力も受けているようです。中国抜きには経済が成り立たないのに領土問題で対立するという難しい立場のようです。
さて、ツアーバスは世界遺産ホイアンに到着。
先ず連れていかれたのが


シルク製品の工場です。ホイアンはシルク製品が特産のようで(知らなかった)街にはシルクの衣料品を売る店が軒を連ねています。オーダーメイドのシルクの紳士スーツでも日本の量販チェーン店のスーツくらいのお値段からあるようです。でもスーツ着ないからな(笑)。

そしてホイアンの象徴ともいえる来遠橋へ。

ここは別名『日本橋』とも言われています。戦国時代の末期、日本の九州や堺の商人による南蛮貿易が盛んになりました。フィリピンのマニラや静岡出身の山田長政が行ったタイのアユタヤ、そしてこのホイアンには1000人ほどの日本人が住む日本人町があったのだそうです。
昨年の大河ドラマ『直虎』で龍雲丸が目指した海の向こうでもありますね。
橋の天井を見て、伊豆松崎で見た船天井を思い出しました。
屋根の構造が船の構造にも見えなくもないですね。

世界遺産ということでかなりの観光客が来るそうですが、お目当ては夜なんです。

旧市街の古い町並みは趣がありました。
このツアーは午後出発でミーソン遺跡を見た後、ホイアンで夕食をとり、旧市街の見物をするというもの。



ベトナムの料理は中華よりもさっぱりしていて食べやすく美味しいです。
香草の苦手な人はダメかもしれませんが、ベトナム人料理人の作るベトナム料理はそれほど香草の癖が出てこないように感じます。

食後はいよいよ市街を見て歩きました。
さすが世界遺産、ものすごい数の観光客であふれています。

このシルクを張ったランタンの風景がこのホイアンの一番の見所です。

日本橋もライトアップされていました。


川沿いも無数のランタンとライトアップで見事でした。
最後に灯篭流しをしてホイアンを後にしました。
一緒にツアーを回った人たちも良い人たちで大変良い思い出となりました。
ホイアンの街と人にも感謝ですね。

お約束です(笑)男用のアオザイもあるんですね。夕食を食べた料理屋さんで無料で貸し出ししていました。
ベトナムにどっぷりと浸かっておきましょう。
ダナントリップ その6に続く
珍しく朝から青空が広がりました。

今日も予報通り波はクローズぎみなので無理せず海はお休み。
今日は午後から世界遺産巡りに行くので遅めの朝食にしました。
食後、海岸に出てみたら、



波が落ち着き、入れるコンディションになっていました。
ここで入るかどうするか悩みましたが、食事をしたばかりだし、どうしようと考えているうちに北風が強まってきたので入るのはやめました。
世界遺産を回るのでその前にベトナムの歴史を知っておきたかったのでお勉強を優先しました。

今回は日本の大手旅行会社のオプショナルツアーを催行している地元の旅行会社のツアーに参加しました。
自力で行ってもよいのですが、世界遺産に行ってベトナム語で解説されても理解できないからです。
こんな時には日本語のガイドが必要です。
参加者は私を含めて8人。各ホテルで拾われて一路ミーソンの遺跡へ向かいました。
ガイドのティエン君は日本語堪能です。彼は多民族国家ベトナムの大多数を占めるキン族だと身分証明書を見せてくれました。ベトナムには54の民族が各地に住むモザイク国家なのです。少数民族が多いということもあり混血による美人の多い国とも知られています。
特にミーソン遺跡を作ったチャンパ族は美人が多いのだそうです。わくわく。

ミーソン遺跡のゲート前でバスを降りました。

黄梅の花です。ベトナムのテト(旧正月)には欠かせない花なのだそうです。

ゲートの先から電動のカートに乗って丘陵地帯を奥へ進みます。
そしてカートを降りた先に小さな舞台のある建物に案内されました。

チャンパ族の女性たちの踊りが始まりました。確かにスタイルの良い美人ぞろい。
ベトナムの民族衣装というとアオザイを思い出しますが、それとは違うチャンバの衣装です。
ベトナムは仏教国ですが、ミーソン遺跡はヒンドゥー教の遺跡です。
ベトナムの歴史を見るとキン族は北のハノイ周辺で中国の影響を強く受けつつ国を作っていました。2世紀ころ中南部にはチャンパ人の王国が栄えていたようです。チャンパ王国はインドのヒンドゥー教の寺院を立てて崇拝していたということは、インドとの交流が盛んだったことが伺えます。この衣装もその影響を受けているのでしょう。

次は笛と太鼓の演奏。
笛の音や演奏法や旋律が何故か日本の雅楽に似ています。日本で東儀秀樹さんが吹く篳篥(ひちりき)そっくりです。
実はこれも遣唐使によって日本に伝えられた物の一つと考えられているようです。チャンパ王国の存在は平安時代の日本でも知られていたようです。

最後は美しい踊りで締めくくられました。インド風の動きです。
ただ、音楽は民族の隆盛を誇った民族の没落を憂うような悲しい響きでした。

さて、いよいよ遺跡の見学です。



レンガ造りの遺跡なうえに、ベトナム戦争時代には解放戦線の隠れ家にもなっていてアメリカ空軍の爆撃も受けたとのことで損傷が激しいです。ミーソン遺跡は広範囲に広がっていて全て見るには2日はかかるそうです。

碑文にチャンバの文字が刻まれていますが、もはや解読は出来ないのだそうです。
ちなみにベトナム(キン族)は中国の影響を強く受けていたので漢字を用いていたそうです。



やはり大陸にある民族は様々な文化が混じり合い、その興亡も激しかったのでしょうね。
久しぶりにこういう遺跡に来て、ほかの遺跡も見に行ってみたいなと思いました。
ツアーバスはもう一つの世界遺産ホイアンに向かって出発


農村の風景。
広がる田畑に、檳榔の木に囲まれたかなり立派な家も見られます。
ベトナムは基本的には中国と深い関係を持ち社会主義国家として中国を見本に改革開放を進めおおむね良好な関係の元に発展してきました。
でも、スプラトリー(南沙)諸島の領土問題で経済的圧力も受けているようです。中国抜きには経済が成り立たないのに領土問題で対立するという難しい立場のようです。
さて、ツアーバスは世界遺産ホイアンに到着。
先ず連れていかれたのが


シルク製品の工場です。ホイアンはシルク製品が特産のようで(知らなかった)街にはシルクの衣料品を売る店が軒を連ねています。オーダーメイドのシルクの紳士スーツでも日本の量販チェーン店のスーツくらいのお値段からあるようです。でもスーツ着ないからな(笑)。

そしてホイアンの象徴ともいえる来遠橋へ。

ここは別名『日本橋』とも言われています。戦国時代の末期、日本の九州や堺の商人による南蛮貿易が盛んになりました。フィリピンのマニラや静岡出身の山田長政が行ったタイのアユタヤ、そしてこのホイアンには1000人ほどの日本人が住む日本人町があったのだそうです。
昨年の大河ドラマ『直虎』で龍雲丸が目指した海の向こうでもありますね。
橋の天井を見て、伊豆松崎で見た船天井を思い出しました。
屋根の構造が船の構造にも見えなくもないですね。

世界遺産ということでかなりの観光客が来るそうですが、お目当ては夜なんです。

旧市街の古い町並みは趣がありました。
このツアーは午後出発でミーソン遺跡を見た後、ホイアンで夕食をとり、旧市街の見物をするというもの。



ベトナムの料理は中華よりもさっぱりしていて食べやすく美味しいです。
香草の苦手な人はダメかもしれませんが、ベトナム人料理人の作るベトナム料理はそれほど香草の癖が出てこないように感じます。

食後はいよいよ市街を見て歩きました。
さすが世界遺産、ものすごい数の観光客であふれています。

このシルクを張ったランタンの風景がこのホイアンの一番の見所です。

日本橋もライトアップされていました。


川沿いも無数のランタンとライトアップで見事でした。
最後に灯篭流しをしてホイアンを後にしました。
一緒にツアーを回った人たちも良い人たちで大変良い思い出となりました。
ホイアンの街と人にも感謝ですね。

お約束です(笑)男用のアオザイもあるんですね。夕食を食べた料理屋さんで無料で貸し出ししていました。
ベトナムにどっぷりと浸かっておきましょう。
ダナントリップ その6に続く
SURF 遠州灘 5月13日(火)
SURF 駿河湾内 5月4日(日) Golden Week
SURF 駿河湾内 4月24日(木)・25日(金) べらぼう展
SURF 下田白浜 4月17日(木)
SURF 駿河湾内 4月14日(月)
SURF 駿河湾内 4月7日(月)
SURF 駿河湾内 5月4日(日) Golden Week
SURF 駿河湾内 4月24日(木)・25日(金) べらぼう展
SURF 下田白浜 4月17日(木)
SURF 駿河湾内 4月14日(月)
SURF 駿河湾内 4月7日(月)