2019年12月09日
出雲・鳥取トリップ2019 後半(12月1日~12月3日)
12月1日(日)
トリップ4日目。今日は日曜日で海も混むかもしれないので以前から行ってみたかった松江城へ行く計画を立てました。

米子市内から見る大山は雪化粧して曇り空が寒々しいのですが、それほど寒くはありませんでした。

国宝・松山城です。
近隣の看板も単に『松江城』ではなく『国宝松江城』となっています。
松江市民にとって松江城は誇り。何とかして国宝に指定してもらいたくて、市民を挙げて国宝に認定されるような貴重な資料を集めて何度も陳情してきた成果で、ようやく国宝認定されたのだそうです。

ボランティアガイドの年配の女性がガイドしてくれるというのでお願いしました。
先ずは1階から。
戦国時代の出雲の国は、国内随一の石見銀山の富を独占した尼子氏が日本の三大山城のひとつで最強と言われた月山富田城を拠点にして大きな力を持っていたのですが、毛利氏に敗れ追われます。その毛利氏は関ケ原の戦いで敗れ出雲の領地を失います。
そしてそこに関ケ原で武功をあげた堀尾吉晴が移封されて来るのです。
堀尾吉晴は経済流通を考えて山城の月山富田城から水運が良く経済発展の見込める松江に拠点を移し、巨大な城を建てました。
堀尾吉晴という武将は静岡市ではあまり知られた人ではないと思います。
でも、大河ドラマの『功名が辻』では主役である山内一豊の仲の良い同僚として中村一氏とともに描かれていました。
ドラマでは山内一豊(上川隆也)中村一氏(田村淳)堀尾吉晴(生瀬勝久)が演じていました。
豊臣秀吉の家臣として小田原征伐で関東に移封された徳川家康の後を受け、山内一豊は掛川城主、中村一氏は駿府城主、そして堀尾吉晴は浜松城主となり関東の家康が大坂に攻めてこれないように東海道の押さえとなったのでした。
そして、関ケ原ではこの3人が家康の東軍に味方し活躍したので、山内一豊は高知に、中村一氏は伯耆に、堀尾吉晴は出雲にと大出世したのでした。
さて、松江城の天守閣の地下には井戸があるのですが、現存する城郭建築の中で天守閣内部に井戸があるのは松江城だけだということです。
そこで、「あれっ」と急に思い出したのは徳川家康の浜松城にも天守閣の地下に井戸があったことです。
松江城の天守閣に井戸を作ったのは浜松城の井戸を手本にしたからかもしれませんね。

天主の5階からは宍道湖と山陰道を望むことができます。江戸時代やその前の時代は太平洋側よりも日本海側が海運の主流でしたから、堀尾吉晴は経済の知識も深かったのでしょう。

狭間からは終盤を迎えた紅葉が美しかったです。

天主閣を後にして、堀の周りを歩きました。
堀の外周側の岸は低く、水面が近いです。いい雰囲気です。

堀端には武家屋敷が並んでいます。海外からのツアー客も多かったです。
堀端には小泉八雲記念館がありました。
小泉八雲(ラフカディオ ハーン)は焼津市に住んでいたことも知られていますね。
来日し、松江で英語教師となり日本人の女性と結婚し、帰化して八雲と名乗りました。
八雲と名乗ったことは出雲の人達もさぞ喜んだことでしょう。

記念館の隣にそば処 八雲庵がありました。ちょっと観光客目当て的な雰囲気もありましたが、ガイドの方もお薦めしていましたので早めのお昼としました。

なかなかの雰囲気です。

天ぷら蕎麦を注文しました。私の場合、天ぷらと蕎麦は切っても切れない関係になってしまいました。完全に『その字』の影響ですね(笑)
同じ出雲でも松江は割り子そばです。美味しかったです。
そして午後は旅の後半のために鳥取方面のサーフポイントチェックに出かけました。
この日は続いていた波も急速にサイズダウンしていました。明日以降は東風が吹いてサイズアップの予報です。
島根の海岸は基本的に北西向きなので東風がオンショアになる場所が多いのですが、鳥取は北向きで、湾の中にあり東風を避けられるポイントもあります。
ネットで紹介されているポイントやBCMのビーチコーミングに記載されているポイントを端からチェックしていき白兎海岸まで行きました。

昨日は出雲大社に参拝していますので、白兎神社にも参拝しました。

古事記にも出てくる因幡の白兎とオオナムチの伝説の地です。
オオナムチとは、オオクニヌシを名乗る前の大国主命の名前。
末っ子で兄弟たち(八十神)にパシリに使われていたオオナムチが兄弟揃って出雲に住む美女 ヤガミヒメに求婚にするための旅に出かけます。そして因幡の海岸で海を渡るためにサメを騙し、バレたために皮を剥かれて痛がっているウサギに出会います。兄弟たちはウサギに嘘を教えひどい目に遭わせますが、兄弟の荷物を持たされ遅れて到着したオオナムチはそのウサギを助けます。するとウサギは「ヤガミヒメはあなたを夫として選ぶでしょう」と予言するのです。
小学校の教科書に出てきた因幡の白うさぎの話と違い、古事記を現代語に直訳した本を読むと、○○のミコトと○○ヒメが出会った瞬間にビビッときて即○○○というお話ばかりで、古代の日本人はおおらかだったのだなあと感心してしまいます。
そんな訳で、白兎神社は出雲大社同様に縁結びの神様として大人気なのです。
今回のサーフポイントチェックはここまでと考え、道の駅神話の里白うさぎで休憩。
お土産のお菓子『因幡の白うさぎ』を買い(笑)

すなば珈琲をいただきました。
2016年11月、鳥取県は日本で唯一スターバックスが1店舗もない田舎だということが話題になりました。そんな中、鳥取県の平井知事が鳥取県には「スタバはないが日本一のすなば(砂場)がある」と自虐的とも言える発言をして全国的な話題となりました。そして2017年にこの有名になった発言を逆手に取って地元企業が誕生させたのが すなば珈琲です。現在鳥取県内に8店舗があるそうです。
味はどうかと言うと、もう少し「頑張りましょう」という感じですが、こんな発想ができる鳥取県人が好きになりますね。

白兎海岸の隣にある小さな湾が小沢見海岸です。


朝から風が無く面ツルでしたが、ここまでサイズダウンしてしまいました。
日本海は波が立つのも早いけど、風が落ちると無くなるのも早いように思います。
12月2日(月)
天気予報通り朝から東風が強く吹き付けていました。
今日は、昨日チェックした場所が東の強風を受けるとどんな波になるかが楽しみです。

『はわい』の看板が見えてきました。
まだ20歳代だった頃、当時広島県福山市に住んでいた親友のヒロ(現在は高知)に誘われ、島根・鳥取をトリップしたことがありました。
ヒロと知り合ったのはハワイ大学でのこと。
そんなヒロが「ハワイ温泉に泊まろう」とふざけたことを言い出して、連れてこられたのがココでした。
「はわい」は漢字で「羽合」と書くのです。

海岸は東の強風でムネ~カタくらいですが、無理して入るような波ではありません。

入り口に看板がありました。日本海に存在する本物のハワイビーチです。

東風が当たるビーチはどこも風クローズ。

逆にこのように風をかわすビーチもあります。

気高町の港防波堤沿いも、もう少しサイズアップしたら良さそうなポイントです。
入りたくなるような波が無いので鳥取市よりも東にも行ってみることにしました。


鳥取砂丘よりも東の兵庫県境近くまで行って、ようやく風を避けるビーチに着きました。
風を避ける分、波のサイズは小さいですが仕方ないですね。

昨日のほぼフラットなコンディションから半日で主だったビーチは頭オーバーにサイズアップしました。
結局、入りたくなる波は無く、帰路につくことにしました。
出雲で出会ったイルカのビーチの波が良すぎでしたので、普通の波には入る気が無くなってしまうのも仕方のないことかもしれません。
それだけいい波だったのだと思います。
さて、帰路の途中、往きにチェックし忘れたポイントに寄ってみました。
ここも港があり防波堤で東ウネリを軽減するビーチです。

なんと、ビンゴでした。
多分、午前中に寄っていたら波は小さかったと思いますが、充分に良い波に出会えました。
しかし、またしても誰も居ないので、クルマの駐車場所やエントリーの仕方がわかりません。
ところどころにリーフのようなものが見えます。
クルマは誰も居ない港の広いスペースに駐車し、岸壁に縛り付けてあったアルミ梯子を使ってビーチに降りました。
調べてみたら、ここは台風通過時に良くなるポイントで、ローカルの人達は岸壁から飛び込むのだとわかりました。
12月3日(火)
朝、目を覚ますと風はますます強くなっていました。

今回の宿はこんな部屋。
ジャグジー付きかとびっくりするかもしれませんが、寂れたラブホを改装したBBQ場やカラオケボックスとしても使えるような宿でした。

御覧の通り、私が泊まった部屋のデッキはビーチフロントです。

室内は広々していて夏のリゾートとして使えるように炊飯器やホットプレート、レンジ等何でもアリでした。
屋内の浴室も2人で寝転べるくらいの(笑)広さで快適でした。

最終日ですが、サーフィンはやめて荷造りをしました。
部屋が広いとこういう作業も楽にできます。

これが外観。
1泊4,500円で、快適でした。
今回の旅では行けなかった場所もいろいろ。
日本有数の山城 月山富田城
日本一の銀鉱山 石見銀山
その他 いろいろです。
もちろん、境港にも行きたい場所でしたので早めにチェックアウトして向かいました。

境港は『ゲゲゲの鬼太郎』の作者、水木しげるの故郷。
NHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』(松下奈緒 主演)では向井理が水木しげるを演じました。
いろんな所を観たかったのですが、残念ながら今回は時間切れ。
市内のヤマト運輸の営業所に行って往復宅急便の返送をするだけで終わりでした。

境港は次回の課題とし、宍道湖の対岸にある出雲縁結び空港に向かいました。

空港には黄色のFDA7号機が駐機していましたが、これは今年就航した出雲⇔神戸便のようでした。

ランチを食べそびれたので空港で『出雲ぜんざい』を食べました。
お餅が紅白なのがお約束なのだそうです。

15;35発の静岡行は、懐かしいピンクの3号機。
そして、搭乗してびっくりだったのは、たぶんこれで4回目か5回目でしょうか。
キャビンアテンダントにSPLジミーのお気に入りの野口さんが勤務していました。
お久しぶりですと話をしたら、野口さんがネットを検索していたらこの『来たよ!いい波』のブログに自分の写真が載っているのを見つけて私がサーフィンの旅に来ていたことも知ったようで、びっくりしました。
また来年も必ずFDAで出雲に行きますので、会えればなあと思います。

眼下に小さくなっていく鳥取の海岸線。また来年です。いや、すぐにでも出雲に戻ってきたいという気持ちが強いです。

あのイルカのビーチの最高の波で、またあのイルカたちに会いたいと思います。
今回の旅は、これまでの数々のサーフトリップの中でも最も神懸かり的な奇蹟の旅でした。

そして富士山のある風景に戻ってまいりました。
当分はよっぽどいい波でないとサーフィンする気にならないかもしれません。
そんな素晴らしき出雲のサーフトリップでした。
トリップ4日目。今日は日曜日で海も混むかもしれないので以前から行ってみたかった松江城へ行く計画を立てました。

米子市内から見る大山は雪化粧して曇り空が寒々しいのですが、それほど寒くはありませんでした。

国宝・松山城です。
近隣の看板も単に『松江城』ではなく『国宝松江城』となっています。
松江市民にとって松江城は誇り。何とかして国宝に指定してもらいたくて、市民を挙げて国宝に認定されるような貴重な資料を集めて何度も陳情してきた成果で、ようやく国宝認定されたのだそうです。

ボランティアガイドの年配の女性がガイドしてくれるというのでお願いしました。
先ずは1階から。
戦国時代の出雲の国は、国内随一の石見銀山の富を独占した尼子氏が日本の三大山城のひとつで最強と言われた月山富田城を拠点にして大きな力を持っていたのですが、毛利氏に敗れ追われます。その毛利氏は関ケ原の戦いで敗れ出雲の領地を失います。
そしてそこに関ケ原で武功をあげた堀尾吉晴が移封されて来るのです。
堀尾吉晴は経済流通を考えて山城の月山富田城から水運が良く経済発展の見込める松江に拠点を移し、巨大な城を建てました。
堀尾吉晴という武将は静岡市ではあまり知られた人ではないと思います。
でも、大河ドラマの『功名が辻』では主役である山内一豊の仲の良い同僚として中村一氏とともに描かれていました。
ドラマでは山内一豊(上川隆也)中村一氏(田村淳)堀尾吉晴(生瀬勝久)が演じていました。
豊臣秀吉の家臣として小田原征伐で関東に移封された徳川家康の後を受け、山内一豊は掛川城主、中村一氏は駿府城主、そして堀尾吉晴は浜松城主となり関東の家康が大坂に攻めてこれないように東海道の押さえとなったのでした。
そして、関ケ原ではこの3人が家康の東軍に味方し活躍したので、山内一豊は高知に、中村一氏は伯耆に、堀尾吉晴は出雲にと大出世したのでした。
さて、松江城の天守閣の地下には井戸があるのですが、現存する城郭建築の中で天守閣内部に井戸があるのは松江城だけだということです。
そこで、「あれっ」と急に思い出したのは徳川家康の浜松城にも天守閣の地下に井戸があったことです。
松江城の天守閣に井戸を作ったのは浜松城の井戸を手本にしたからかもしれませんね。

天主の5階からは宍道湖と山陰道を望むことができます。江戸時代やその前の時代は太平洋側よりも日本海側が海運の主流でしたから、堀尾吉晴は経済の知識も深かったのでしょう。

狭間からは終盤を迎えた紅葉が美しかったです。

天主閣を後にして、堀の周りを歩きました。
堀の外周側の岸は低く、水面が近いです。いい雰囲気です。

堀端には武家屋敷が並んでいます。海外からのツアー客も多かったです。
堀端には小泉八雲記念館がありました。
小泉八雲(ラフカディオ ハーン)は焼津市に住んでいたことも知られていますね。
来日し、松江で英語教師となり日本人の女性と結婚し、帰化して八雲と名乗りました。
八雲と名乗ったことは出雲の人達もさぞ喜んだことでしょう。

記念館の隣にそば処 八雲庵がありました。ちょっと観光客目当て的な雰囲気もありましたが、ガイドの方もお薦めしていましたので早めのお昼としました。

なかなかの雰囲気です。

天ぷら蕎麦を注文しました。私の場合、天ぷらと蕎麦は切っても切れない関係になってしまいました。完全に『その字』の影響ですね(笑)
同じ出雲でも松江は割り子そばです。美味しかったです。
そして午後は旅の後半のために鳥取方面のサーフポイントチェックに出かけました。
この日は続いていた波も急速にサイズダウンしていました。明日以降は東風が吹いてサイズアップの予報です。
島根の海岸は基本的に北西向きなので東風がオンショアになる場所が多いのですが、鳥取は北向きで、湾の中にあり東風を避けられるポイントもあります。
ネットで紹介されているポイントやBCMのビーチコーミングに記載されているポイントを端からチェックしていき白兎海岸まで行きました。

昨日は出雲大社に参拝していますので、白兎神社にも参拝しました。

古事記にも出てくる因幡の白兎とオオナムチの伝説の地です。
オオナムチとは、オオクニヌシを名乗る前の大国主命の名前。
末っ子で兄弟たち(八十神)にパシリに使われていたオオナムチが兄弟揃って出雲に住む美女 ヤガミヒメに求婚にするための旅に出かけます。そして因幡の海岸で海を渡るためにサメを騙し、バレたために皮を剥かれて痛がっているウサギに出会います。兄弟たちはウサギに嘘を教えひどい目に遭わせますが、兄弟の荷物を持たされ遅れて到着したオオナムチはそのウサギを助けます。するとウサギは「ヤガミヒメはあなたを夫として選ぶでしょう」と予言するのです。
小学校の教科書に出てきた因幡の白うさぎの話と違い、古事記を現代語に直訳した本を読むと、○○のミコトと○○ヒメが出会った瞬間にビビッときて即○○○というお話ばかりで、古代の日本人はおおらかだったのだなあと感心してしまいます。
そんな訳で、白兎神社は出雲大社同様に縁結びの神様として大人気なのです。
今回のサーフポイントチェックはここまでと考え、道の駅神話の里白うさぎで休憩。
お土産のお菓子『因幡の白うさぎ』を買い(笑)

すなば珈琲をいただきました。
2016年11月、鳥取県は日本で唯一スターバックスが1店舗もない田舎だということが話題になりました。そんな中、鳥取県の平井知事が鳥取県には「スタバはないが日本一のすなば(砂場)がある」と自虐的とも言える発言をして全国的な話題となりました。そして2017年にこの有名になった発言を逆手に取って地元企業が誕生させたのが すなば珈琲です。現在鳥取県内に8店舗があるそうです。
味はどうかと言うと、もう少し「頑張りましょう」という感じですが、こんな発想ができる鳥取県人が好きになりますね。

白兎海岸の隣にある小さな湾が小沢見海岸です。


朝から風が無く面ツルでしたが、ここまでサイズダウンしてしまいました。
日本海は波が立つのも早いけど、風が落ちると無くなるのも早いように思います。
12月2日(月)
天気予報通り朝から東風が強く吹き付けていました。
今日は、昨日チェックした場所が東の強風を受けるとどんな波になるかが楽しみです。

『はわい』の看板が見えてきました。
まだ20歳代だった頃、当時広島県福山市に住んでいた親友のヒロ(現在は高知)に誘われ、島根・鳥取をトリップしたことがありました。
ヒロと知り合ったのはハワイ大学でのこと。
そんなヒロが「ハワイ温泉に泊まろう」とふざけたことを言い出して、連れてこられたのがココでした。
「はわい」は漢字で「羽合」と書くのです。

海岸は東の強風でムネ~カタくらいですが、無理して入るような波ではありません。

入り口に看板がありました。日本海に存在する本物のハワイビーチです。

東風が当たるビーチはどこも風クローズ。

逆にこのように風をかわすビーチもあります。

気高町の港防波堤沿いも、もう少しサイズアップしたら良さそうなポイントです。
入りたくなるような波が無いので鳥取市よりも東にも行ってみることにしました。


鳥取砂丘よりも東の兵庫県境近くまで行って、ようやく風を避けるビーチに着きました。
風を避ける分、波のサイズは小さいですが仕方ないですね。

昨日のほぼフラットなコンディションから半日で主だったビーチは頭オーバーにサイズアップしました。
結局、入りたくなる波は無く、帰路につくことにしました。
出雲で出会ったイルカのビーチの波が良すぎでしたので、普通の波には入る気が無くなってしまうのも仕方のないことかもしれません。
それだけいい波だったのだと思います。
さて、帰路の途中、往きにチェックし忘れたポイントに寄ってみました。
ここも港があり防波堤で東ウネリを軽減するビーチです。

なんと、ビンゴでした。
多分、午前中に寄っていたら波は小さかったと思いますが、充分に良い波に出会えました。
しかし、またしても誰も居ないので、クルマの駐車場所やエントリーの仕方がわかりません。
ところどころにリーフのようなものが見えます。
クルマは誰も居ない港の広いスペースに駐車し、岸壁に縛り付けてあったアルミ梯子を使ってビーチに降りました。
調べてみたら、ここは台風通過時に良くなるポイントで、ローカルの人達は岸壁から飛び込むのだとわかりました。
12月3日(火)
朝、目を覚ますと風はますます強くなっていました。

今回の宿はこんな部屋。
ジャグジー付きかとびっくりするかもしれませんが、寂れたラブホを改装したBBQ場やカラオケボックスとしても使えるような宿でした。

御覧の通り、私が泊まった部屋のデッキはビーチフロントです。

室内は広々していて夏のリゾートとして使えるように炊飯器やホットプレート、レンジ等何でもアリでした。
屋内の浴室も2人で寝転べるくらいの(笑)広さで快適でした。

最終日ですが、サーフィンはやめて荷造りをしました。
部屋が広いとこういう作業も楽にできます。

これが外観。
1泊4,500円で、快適でした。
今回の旅では行けなかった場所もいろいろ。
日本有数の山城 月山富田城
日本一の銀鉱山 石見銀山
その他 いろいろです。
もちろん、境港にも行きたい場所でしたので早めにチェックアウトして向かいました。

境港は『ゲゲゲの鬼太郎』の作者、水木しげるの故郷。
NHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』(松下奈緒 主演)では向井理が水木しげるを演じました。
いろんな所を観たかったのですが、残念ながら今回は時間切れ。
市内のヤマト運輸の営業所に行って往復宅急便の返送をするだけで終わりでした。

境港は次回の課題とし、宍道湖の対岸にある出雲縁結び空港に向かいました。

空港には黄色のFDA7号機が駐機していましたが、これは今年就航した出雲⇔神戸便のようでした。

ランチを食べそびれたので空港で『出雲ぜんざい』を食べました。
お餅が紅白なのがお約束なのだそうです。

15;35発の静岡行は、懐かしいピンクの3号機。
そして、搭乗してびっくりだったのは、たぶんこれで4回目か5回目でしょうか。
キャビンアテンダントにSPLジミーのお気に入りの野口さんが勤務していました。
お久しぶりですと話をしたら、野口さんがネットを検索していたらこの『来たよ!いい波』のブログに自分の写真が載っているのを見つけて私がサーフィンの旅に来ていたことも知ったようで、びっくりしました。
また来年も必ずFDAで出雲に行きますので、会えればなあと思います。

眼下に小さくなっていく鳥取の海岸線。また来年です。いや、すぐにでも出雲に戻ってきたいという気持ちが強いです。

あのイルカのビーチの最高の波で、またあのイルカたちに会いたいと思います。
今回の旅は、これまでの数々のサーフトリップの中でも最も神懸かり的な奇蹟の旅でした。

そして富士山のある風景に戻ってまいりました。
当分はよっぽどいい波でないとサーフィンする気にならないかもしれません。
そんな素晴らしき出雲のサーフトリップでした。
SURF 遠州灘 5月13日(火)
SURF 駿河湾内 5月4日(日) Golden Week
SURF 駿河湾内 4月24日(木)・25日(金) べらぼう展
SURF 下田白浜 4月17日(木)
SURF 駿河湾内 4月14日(月)
SURF 駿河湾内 4月7日(月)
SURF 駿河湾内 5月4日(日) Golden Week
SURF 駿河湾内 4月24日(木)・25日(金) べらぼう展
SURF 下田白浜 4月17日(木)
SURF 駿河湾内 4月14日(月)
SURF 駿河湾内 4月7日(月)