2012年10月27日
ハワイアンブルーのクモハ100
子供の頃の記憶が、この歳になって突然蘇ることが皆さんもあるのではないでしょうか。
今年の5月に新島にトリップに出掛ける際、一人旅だしクルマで出かけても港に停め置きだし、無駄な感じがしました。
そこで、電車で行く事にしました。
JRと伊豆急を乗り継いで下田に行きました。伊豆急に乗るのは初めてのことでした。
伊豆急のブルーの車体を見た時、突然思い出した事がありました。

小学校1年生か2年生の頃だったと思います。モーターボートの模型が流行っていて、駿府公園のお堀や噴水、浅間神社の池などで走らせて遊んでいました。
そんなある日、父が突然本屋さんで『模型と工作』という雑誌を買ってきて、その号に出ていた大きな軍艦を作り始めました。作ると言っても木の板を切り出して全て手作りの大きな木製模型でした。

ネットで調べたら、こんな写真がありました。ネットって凄いですね。
これは昭和36年の創刊号だそうです。
さて、その『模型と工作』にはクレーン車や飛行機など様々な模型の作り方も掲載されていました。
そこに伊豆急行のクモハ100系電車の作り方が載っていました。

床と天井はバルサ板を切り出し、車体はケント紙(ツヤのある画用紙)を切り出して作るものでした。
小学生の私はこれを作るべく悪戦苦闘してカッターで電車の窓を一つ一つ切り出しました。
1ミリでもはみ出せば窓枠が壊れてしまいます。慎重さと根気が要る作業でしたが、モノを作る楽しさがあり何度も失敗し作り直し続けました。夢中でしたね。
今思えば、こういった経験が家の改装工事をDIYしたりするルーツになっているのでしょう。
さて、新島へ行く時に伊豆急を見て突然思い出したのは
今から40年ほど前に読んだ『模型と工作』に書かれていた伊豆急の解説です。
伊豆急は1961年開業で、当時私鉄として初めて食堂車を走らせたのです。
これを仕掛けたのは当時ビール製造に本格的に乗り出したサントリーで、伊豆急に車両を寄付してビアガーデン列車を走らせたという異例のできごとでした。
何億円もするであろう電車の車両を広告宣伝のために作って鉄道会社に寄付しちゃうなんて、今の広告マンには思いもつかないであろう大胆な仕事をやってのけた人がいることも驚きです。当時の日本は勢いがあったのでしょうね。
伊豆のリゾート開発が始まり当時としては最新鋭の伊豆急で話題を作るという驚くべき広告手法ですね。
上のクモハ100系電車は今見ると普通の電車ですが、当時国鉄伊東線から乗り入れていた電車が

これですから、ハワイアン・ブルー(そう呼ばれていた)に塗られた伊豆急は超モダンな電車だったのでしょう。
このブログを書くに当たり、裏を取るためにwikipediaを調べてみたら、ほぼ正しい内容だったようです。
昨日立てたスケジュールもすっかり忘れてサーフィンに行ってしまい、今月25日の集金にまだ行っていない私なのですが(>_<)、40年前に読んだ雑誌の内容を覚えていることに驚いてしまいます。人間の脳って不思議ですね。
かつて、そんなリゾートの花型鉄道だった伊豆急。
現在ではリゾート21という展望車両が走っていますが、一度乗ってみたいなと思うようになりました。

昭和30年代の高度成長に湧き、リゾートという夢が芽生えてきた時代の気分で電車に揺られたら、伊豆の風景がどんな風にみえるのかなと思いました。
今年の5月に新島にトリップに出掛ける際、一人旅だしクルマで出かけても港に停め置きだし、無駄な感じがしました。
そこで、電車で行く事にしました。
JRと伊豆急を乗り継いで下田に行きました。伊豆急に乗るのは初めてのことでした。
伊豆急のブルーの車体を見た時、突然思い出した事がありました。

小学校1年生か2年生の頃だったと思います。モーターボートの模型が流行っていて、駿府公園のお堀や噴水、浅間神社の池などで走らせて遊んでいました。
そんなある日、父が突然本屋さんで『模型と工作』という雑誌を買ってきて、その号に出ていた大きな軍艦を作り始めました。作ると言っても木の板を切り出して全て手作りの大きな木製模型でした。

ネットで調べたら、こんな写真がありました。ネットって凄いですね。
これは昭和36年の創刊号だそうです。
さて、その『模型と工作』にはクレーン車や飛行機など様々な模型の作り方も掲載されていました。
そこに伊豆急行のクモハ100系電車の作り方が載っていました。

床と天井はバルサ板を切り出し、車体はケント紙(ツヤのある画用紙)を切り出して作るものでした。
小学生の私はこれを作るべく悪戦苦闘してカッターで電車の窓を一つ一つ切り出しました。
1ミリでもはみ出せば窓枠が壊れてしまいます。慎重さと根気が要る作業でしたが、モノを作る楽しさがあり何度も失敗し作り直し続けました。夢中でしたね。
今思えば、こういった経験が家の改装工事をDIYしたりするルーツになっているのでしょう。
さて、新島へ行く時に伊豆急を見て突然思い出したのは
今から40年ほど前に読んだ『模型と工作』に書かれていた伊豆急の解説です。
伊豆急は1961年開業で、当時私鉄として初めて食堂車を走らせたのです。
これを仕掛けたのは当時ビール製造に本格的に乗り出したサントリーで、伊豆急に車両を寄付してビアガーデン列車を走らせたという異例のできごとでした。
何億円もするであろう電車の車両を広告宣伝のために作って鉄道会社に寄付しちゃうなんて、今の広告マンには思いもつかないであろう大胆な仕事をやってのけた人がいることも驚きです。当時の日本は勢いがあったのでしょうね。
伊豆のリゾート開発が始まり当時としては最新鋭の伊豆急で話題を作るという驚くべき広告手法ですね。
上のクモハ100系電車は今見ると普通の電車ですが、当時国鉄伊東線から乗り入れていた電車が

これですから、ハワイアン・ブルー(そう呼ばれていた)に塗られた伊豆急は超モダンな電車だったのでしょう。
このブログを書くに当たり、裏を取るためにwikipediaを調べてみたら、ほぼ正しい内容だったようです。
昨日立てたスケジュールもすっかり忘れてサーフィンに行ってしまい、今月25日の集金にまだ行っていない私なのですが(>_<)、40年前に読んだ雑誌の内容を覚えていることに驚いてしまいます。人間の脳って不思議ですね。
かつて、そんなリゾートの花型鉄道だった伊豆急。
現在ではリゾート21という展望車両が走っていますが、一度乗ってみたいなと思うようになりました。

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愛知史跡巡り 犬山城と小牧城
SURF 遠州灘 5月13日(火)
SURF 駿河湾内 5月4日(日) Golden Week
SURF 駿河湾内 4月24日(木)・25日(金) べらぼう展
SURF 下田白浜 4月17日(木)
SURF 駿河湾内 4月14日(月)
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Posted by エディ タチカワ at 22:39│Comments(0)
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