2012年01月19日

光輝く島 6

さて、クイズです。この海の中に立っている細い棒は何のための物でしょう。

光輝く島 6

ヒントは、『アペゼさん・おおしおさん・tatsuyaさん・そのじさん・つかさん・りくおさん、クー兄・・・・・』

光輝く島 6

ヒントが楽すぎましたね、釣りです。もっともこちらは漁業としての伝統の釣りですが、
ストルト・フィッシングというのだそうです。
このあたりの風物詩というか、観光の一環でもあるようです。

光輝く島 6

ミディガマの
サーフポイントのまん前にもゲストハウスがあり、ヨーロッパのサーファーたちが滞在していました。
このあたりはヨーロッパからのお客が多く、それを対象としたゲストハウス(民宿)がたくさんあります。
彼らは地元民の足であるトゥクトゥク(ミニ三輪車)をチャーターして幌の上にボードを満載してサーフポイントに出掛けるスタイルがほとんどで、お金を掛けずに地元に密着してバカンスを楽しんでいます。

光輝く島 6

今回の旅は初めてのスリランカで短期なこともありサーファー向けの安いパックツアーですが、彼らと比べたら大名旅行。日本人の平均的な旅スタイルと彼らの旅の楽しみ方では根本的に違いが感じられます。
日本人ももっとお金を掛けずに地元に密着して長い休みを過ごせるような社会構造を作っていかないと、これからの低成長・デフレ・高齢化の日本で、生きていくことの満足度を向上させることはできないのではないかと思います。
ここに来ている人たちは言葉の感じからEUの中でも債務国であるスペイン・ポルトガル・イタリア・ギリシャなどではないでしょうか。
安宿・安レストランでも楽しそうで賑やかな白人の家族連れをみていると日本人もこういう部分を学ばないと、社会情勢に心の部分が蝕まれてしまうような気がします。

光輝く島 6

波はトリプルのダンパーなので午後まで波乗りをする気にはならず、途中にあるゴールの街へ向かうことにしました。
途中、ガイドのハッサンが道端の椰子の実売りの屋台で止まってくれました。
これはゴールデン・ココナッツで、木に成っているときから実がむき出しの品種です。
屋台のおじさんが蛮刀のような鉈で手際よくスパッと実を切ると

光輝く島 6

こんな感じで中のジュースを飲むことができます。
そして飲み終わると

光輝く島 6

鉈で二つに割って中の白い果肉を食べることが出来ます。
この時、左の実の中にある殻の切れ端を鉈でサッと作ってくれるのですが、
これが殻の内側のアールにぴったりのスプーンになるのです。
甘くて美味しかったです。

光輝く島 6

小さな集落の平均的なイメージでしょうか。

スリランカではやたらに人にカメラを向けるのはタブーとされていると何かで読んだことがあります。写真撮影は普段よりも慎重にするようにしました。

光輝く島 6

こんな風景もありました(笑)
クルマは日本のトヨタが圧倒的で、ハイエースやカローラの比率が高いです。
数は少ないですがプリウスもホンダのインサイトも見かけました。
後は、インドのTataも多いですね。話題の格安カーのnanoもタクシーで走っていました。

光輝く島 6

これがスリランカ南部の典型的な漁船です。
港がなくても砂浜から漁に出られるのでコンクリートで漁港を作る必要もありません。伝統の技術は環境にも優しいんですね。

光輝く島 6

これがゴールの旧市街地を囲う城壁です。ゴールはスリランカ南部最大の都市。
1589年と言いますから日本の戦国時代の終わりごろポルトガルによる最初の砦が築かれ、後にオランダが植民地支配の拠点とし、その後イギリスに変わりました。
東洋への海上交通の要衝ですから西洋列強が重要拠点として支配したのは当然でしょう。巨大な城塞都市となりました。実はこのゴールの旧市街は世界遺産に登録されています。歴史的に重要な遺産なのです。
ここスリランカは東西海上交通の重要地点にあり地政学的にも世界の重要な場所。
紀元前3世紀には王朝文化が栄えた高い文明を持った民族なのです。日本なんかよりずっと歴史と文化がある民族。しかし、悲しいかな地政学上の重要地点だっただけに異民族、とりわけ西欧列強の侵略を受けてきた歴史があります。

光輝く島 6

シンボルとなっている時計台です。
スリランカは400年近く異民族によって支配・抑圧されてきたわけです。
その時代の統治者がスリランカ国内の多数派シンハラ人と少数派タミル人との軋轢を利用したに違いありません。
つい2年前の2009年まで長い内戦が続きましたが、今はテロもなく本当の平和が訪れたようです。スリランカの平和な未来は始まったばかりと言えます。

光輝く島 6

ゴールの城壁から新市街地を望むと目の前にクリケット場が見え、クリケットに興じる人たちの姿が見えました。ここは大英帝国の支配下でしたからね。その奥の真新しい建物はバスターミナルです。

そこで思い出すのが2004年に発生したインド洋のスマトラ沖大震災による大津波の映像です。
遠く離れたこのゴールの新市街も巨大津波に飲み込まれました。



映像の手前がバスターミナルで、背景にゴールの城壁と時計台が見えますね。
日本の大震災の7年前のことですから、この教訓を日本でも生かせていたらなと思います。
ちなみにスリランカではこの大津波で3万人以上の人命が失われました。
実に東北関東大震災の2倍の被害者数です。

しかし、ざっと見ただけではそんな大災害が起きた街だとは到底思えないような賑やかさでした。
植民地としての抑圧、長く続いた民族間の内戦、そして大津波。
でもスリランカの人々は貧しくとも逞しく明るく生きているのに驚かされました。
尊敬すべきはテレビに出て文句を言う評論家達ではなく、こうした一般庶民の生き様でしょう。

南側に大きな湾が望めます。この湾と新市街の低い地形が被害を大きくしたのですが、
大航海時代には多くの大型帆船がこの湾に浮かんでいたことでしょう。

光輝く島 6こんな風にレストランでブログ書いてます。



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Posted by エディ タチカワ at 05:00│Comments(4)サーフィン
この記事へのコメント
その凝視する眼差しは、睡眠不足でしょうか?それとも楽し過ぎ?
Posted by 山ちゃん at 2012年01月19日 09:05
釣りの為の棒ですが 昔の東京湾ではキス釣りでこのような風景がありましたよね。
その流れなのかなぁ?
ちょっと懐かしい風景にびっくりしちゃいました。
Posted by コンビニおじさん。 at 2012年01月19日 09:16
山ちゃん

なんせ、光輝く島なので、まぶしいんです。
そのまま撮ったら居眠りしてるみたいなので、目を見開いて撮りなおしたのです。
Posted by エディ タチカワエディ タチカワ at 2012年01月19日 11:23
コンビニおじさん。

そうですね。よくご存知ですね。
昔の江戸前の風物詩だったと聞いています。
脚立釣りなんてのもあったように思います。
国は違っても人間の考えることは同じなんでしょうね。

スリランカの人、尊敬するわ。
Posted by エディ タチカワエディ タチカワ at 2012年01月19日 11:35
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